『樋口一葉詳細年表』伊藤氏貴、能地克宜編(勉誠出版)/『樋口一葉赤貧日記』伊藤氏貴著(中央公論新社)

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『樋口一葉詳細年表』伊藤氏貴、能地克宜編(勉誠出版)/『樋口一葉赤貧日記』伊藤氏貴著(中央公論新社)

[レビュアー] 金子拓(歴史学者・東京大教授)

借金・自尊心 足跡たどる

 昨2022年は樋口一葉生誕150年という節目の年でもあり、森鴎外同様関連書籍の刊行が目についた。なかでも『詳細年表』は労作である。日記や書簡などをもとに、日付単位で一葉の生涯をたどっている。日々の足跡を再現できる明治の文人はほかに漱石くらいだろう。関係する人物やゆかりの場所、読んだ本や蔵書、詠んだ短歌、着ていた着物の種類や色に至るまで事細かに情報がまとめられている。今後の一葉研究には必携の本であり、一葉という人を知るための入門書ともなろう。

 終焉(しゅうえん)の地となる丸山福山町に移居してからのいわゆる「奇跡の14か月」のなかで文名が高まるにつれ、その作品に強く感銘を受けた文人たちが頻繁に彼女のもとを訪れる。齋藤緑雨・平田禿木・川上眉山・馬場孤蝶らである。『詳細年表』を見るとその様子がつぶさに感じ取れる。和田芳恵は「どんな男も、この頃の一葉にかかると手玉にとられた」(『一葉の日記』)とするが、姉御肌の女性のように感じられる。

 さらに印象深いのは、没するまで借金や入質と無縁ではなかったこと。『詳細年表』編者の伊藤氏がこのテーマに絞って彼女の生涯をたどり著したのが『赤貧日記』である。最晩年に原稿料収入が多くなっても、なお生活は苦しく、借金や入質で糊口(ここう)をしのぐ日々だった。

 『赤貧日記』では、借金をくりかえしつつもプライドを崩さない一葉の人間観や生活態度が、体面・打算・憤懣(ふんまん)・罵言といった言葉を用いながら語られる。これらは一葉を語る言葉として一般的ではないだろうからかえって新鮮だ。

 ふと、先日取りあげた『切り裂きジャックに殺されたのは誰か』に登場した犠牲者の女性たちと一葉は、19世紀後半に生きた同時代人であることに気づいた。家庭の大黒柱を喪(うしな)い貧窮するという点まで似ている。個性、地域差、人間関係、何が彼女たちの人生を分けたのか。女性の生き方に思いを馳(は)せる読書が続いた。

読売新聞
2023年2月24日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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