海を越えて“アカペラ”で繋がる若者を描くエバーグリーン青春小説

レビュー

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遠い空をまたいで声を繋げる物語

[レビュアー] 野中ともそ(作家)

 ニューヨークに暮らして三十一年、この三年間ほど息づまる閉塞感に包まれた日々はなかったように思う。

 新型コロナウイルスの累計感染者数も死者数も世界最大となってしまったアメリカ。巷(ちまた)ではアジア系ヘイト犯罪が急増し、私も地下鉄や路上で幾度となく嫌な目にあった。今も地下鉄駅ではホームから突き落とされないように、電車が来るギリギリまで安全な場所で待つのが習慣になっている。

 犯罪が横行していた何十年も前のニューヨークにタイムスリップしたみたいだね。友人と嘆きあうほど生活は激変し、世界が分断されるその少し前。ある物語を書き始めていた。

 マンハッタンの街に放りこまれた日本人少年が仲間と出会い、アカペラを通して、閉ざしていた唇を少しずつ開いていく―そんな大まかな構想の青春物語。でも彼ときたらマーベルオタクで内向的、ややコミュ障気味な少年だけあって、なかなか歌い出してくれない。動き出してくれないのだ。

 そのうち世界はパンデミックの渦に呑み込まれた。呑気にお歌なんて歌ってる場合じゃないんじゃね? 少年も私も心でつぶやいていた。そんな中、幸いなことに別の著作が映画化されたこともあり、私は逃げるようにいったん少年の物語から手を放し、スピンオフ作品や電子書籍化作業に集中した。

 それがどうしたことだろう。アメリカではBLM運動で暴動や略奪も起こり、夜間外出禁止令まで発令される中、PCの中で息をひそめていた少年少女たちが、少しずつ動き始めてくれたのである。タイトルにあるように最初はおそるおそる。途中からは声を放ち、つま先を前に踏み出し、泣き、笑い始めた。マンハッタンの少年と長崎の少女の声は繋(つな)がり、世界の「声」とも繋がり始めた。それは、摩天楼の街でスパイダーマンに遭遇するよりも奇跡めいたことかもしれない。

 もしかすると歌声には何かを変える力があるかもしれない。本書でそんな奇跡の芽吹きを感じていただけたら幸せです。

光文社 小説宝石
2023年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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