「ジャニーズ」にかけられた“呪い”とは? 少年隊の“ニッキ”こと錦織一清が自伝で明かした想い

レビュー

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少年タイムカプセル

『少年タイムカプセル』

著者
錦織, 一清, 1965-
出版社
新潮社
ISBN
9784103549314
価格
1,980円(税込)

書籍情報:openBD

ジャニーズにかけられた呪いを解く

[レビュアー] 霜田明寛(作家/チェリー編集長)


錦織一清さん

2020年12月31日にジャニーズ事務所を退所した少年隊の”ニッキ”こと錦織一清が、初の自叙伝『少年タイムカプセル』を刊行した。12歳でジャニーズ事務所に入所、1985年に少年隊として「仮面舞踏会」でデビューした錦織が、“仮面”を脱いで封印した記憶を明かしているという。

『ジャニーズは努力が9割』の著者でもあるライター・霜田明寛が読み解く、ジャニーズにかけられた“呪い”とは――。

霜田明寛・評「ジャニーズにかけられた呪いを解く」

“芸能界で成功する”ことと“芸事を追究する”ことは似て非なるものである。少年隊は後者に比重をおいたグループであり、ジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川の本質も実はそこにあるのでは――そう考えてきたが、錦織一清初の自叙伝『少年タイムカプセル』を通して、彼らの真に求めてきたものの輪郭が露わになった感覚を得た。

手塩にかけて育ててきた少年隊をいざデビューさせようという頃、ジャニーは寂しそうだったという。「レコードを売らなきゃいけない」「プロモーションになっちゃうから、ショーの性質が違ってきちゃう」という発言からは、氏が何を大事に捉えていたかが透ける。本人たちもデビューよりも青山劇場でオリジナルのミュージカル『PLAYZONE』を毎年上演できることのほうが嬉しかったという。純粋に芸事を追究してきた少年たちが、芸能界という商業世界に踏み入るとき、そこには大きな段差が存在したのだ。

本書の内容は、読者に少年隊を“アイドル”と呼ぶことを躊躇させるものだ。錦織自身、最初はアイドルとはお膳立てされるものだという意識があったという。だが「出されたものをそのまま歌っちゃいけない」とジャニーに言われて、曲や歌詞にも意見を出し(『仮面舞踏会』の印象的な前奏のフレーズは錦織の発案)、「ニューミュージックのシンガーソングライターのよう」に変化していった。自分の頭で考える彼らは決して操り人形ではない。当人たちにも「アイドルという自覚」はあまりなかったようだ。

さらに、ジャニーが女子の歓声を重要視せず「『キャーキャー!』は一過性なんだ。しっかり拍手をもらえるアーティストになりなさい」と指導していたという証言は、ジャニーズ全体への捉え方をも一変させるものだろう。芸能界で最も成功したアイドル事務所と捉えられがちなジャニーズ。もちろん、その側面も持つのだが、その中枢をじっくりと見つめれば、純粋に芸事を追究する集団なのだ。

特に少年隊はその色を濃く持っていた。錦織自身が自分たちの前後にデビューしたグループと比較し、シブがき隊を「ダンスレッスンをしているのも見たことがない」、光GENJIを「流行りすぎた」「ヒット曲メーカーとしての役割を担わされてしまった」と分析するのは興味深い。結果、少年隊は一過性の流行に終わらず、事務所史上最も長く存続するグループになっていくわけだが、本書では彼らが芸能界でも成功していく期間も描く。80年代のバブル期を背景に、1日5回のコンサート、写真集1冊のために5か国に飛び、3人で乗った車を錦織が運転して局に向かう描写は青春小説のようでもある。

この時期は、ジャニーズ事務所の再興期にもあたる。「メリーさんには人としての躾をジャニーさんにはショー事を教わった」という錦織の記憶で語られる、今は亡き姉弟との関わりは、戦後の日本芸能史においても重要なものだろう。

錦織は「ジャニーさんは俺たちに“可能性”を見出してくれた」とした上で、義経にならず「いつまでも牛若丸であってほしい」という思いを持った人だとも形容する。完成形よりも可能性に魅力を感じるという意味だろうが、スキルアップを続けながらも決して完成形にならず、可能性を感じさせ続ける芸当はなかなかできるものではない。葛藤を抱きつつも成長した錦織の努力の一端も見える内容だ。

さらに、当時の合宿所の部屋割りといったファンにも嬉しいディテールや、ジャニーと錦織が墜落した日本航空123便に乗る予定だったといった逸話も明かされる。「振付は踊りとは言わない」と繰り返すダンス論は、動きが揃っていれば評価される昨今の潮流へのアンチテーゼのようだ。

そういった話を通して少年隊への理解が深まることで、ジャニーが作り上げた他のグループの見え方まで変わっていく。特に「ジャニーズ事務所の一番のアンチは、実はジャニーさん自身」だといい、少年隊をたのきんトリオと真逆にするなど、グループは毎回カウンターを当てるようにしていたという話は、この事務所が長く第一線を走り続けられる理由のひとつだろう。「流行を追いかけない。だって僕たちが流行だから」と語るジャニーの言葉通り、ジャニーズは自ら作った流行を、その手で刷新し続けてきた。時代を創っては壊す。それがこの事務所の半世紀だったようにも思う。そして、その“源流”にも思いを馳せた。

実は初代ジャニーズは「キャーキャー言われるけど音楽を聞かれていない」と悩み、米国でレコーディングまでしながら、日本での芸能活動のために海外進出を断念している。本書でも、少年隊が米国で英語楽曲を収録し、世界デビューを予定していたことが明かされる。最近では、King & Princeの分裂の理由が、海外進出への気持ちのズレとされたことも記憶に新しい。芸事と芸能界の間で夢が引き裂かれる。芸事を追究したかったはずの人たちが芸能界にからめとられてしまう。海外の“ショー事”の血をひきながら“芸能界”が強い日本で誕生したジャニーズ事務所にかけられた長年の呪い。本書によってその「呪いを解きたい」という錦織の想いが伝わってくる。

新潮社 波
2023年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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