「胃が合うふたり」 千早茜・新井見枝香『胃が合うふたり』

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胃が合うふたり

『胃が合うふたり』

著者
千早 茜 [著]/新井 見枝香 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103341932
発売日
2021/10/29
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「胃が合うふたり」

[レビュアー] 新潮社

新井見枝香×千早茜・「胃が合うふたり」

新井見枝香

 お客様から在庫の問い合わせを受けた書店員は、「ある」とも「ない」とも、即答してはならない。接客業としてお客様に対し、間違ったことをお伝えしてはいけないからだ。すぐ目の前に現物があれば別だが、あの棚にあるだろうと思ってもない場合はあるし、その逆も然り。検索データも、ミスやズレがないとは言い切れない。ない可能性が高くとも、あるかもしれない可能性を捨てずに思い付く限りの場所を探し、あの手この手でデータを検証し、それでも見つからなければ、お待たせしたことをお詫びした上で、ようやく状況をお答えする、私はずっと後輩にそう教えてきた。

 だから、ひとり暮らしのアパートがどんなに狭くても、赤いボストンバッグがない、ということを簡単には決められない。思わぬところに仕舞い込んだのかもしれないし、そもそもあったというのが思い違いかもしれない。経験上、自分の記憶ほど信じられないものはないからだ。あのボストン、どうしたっけ? と思い出したのは、最後に見た記憶から十日も経った頃だった。そんな薄ぼんやりした人間のことを、誰が信じられるだろうか。その後の記憶は、ぷっつりと途絶えている。帰りに立ち寄った焼き鳥屋に確認するも、そんな忘れ物はないと即答され、そもそも焼き鳥屋に持って入らなかったのではと、食事を共にした人に確認するも、持っていたようないないような、という酔っ払いらしい回答しか返ってこない。こんな記憶喪失みたいな私に言われたくはないだろうが。そうこうしているうちに数日が経ち、恥を承知で警察に電話をかけようとスマホを手にしたところでふと思い立ち、ダメ元で運送屋さんに訊ねてみることにした。さすが某大手運送会社、送ったかどうかも定かではないという、ふざけた問い合わせにも「ない」とは即答せず、探してみるとのこと。接客はこうでなきゃ。しばらくして、そのような荷物が発見されたので確認してほしい、と折り返しがあった。そして申し訳なさそうに、こう付け加えたのである。

「中から液体が漏れているようですが、何かお心当たりはございますか」

 そういえば、飲みきれなかった三本の「モンスター」、あれどうしたっけ?

 十日前といえばストリップ公演の最終日、最後の出番を終えた私は、大量の荷物を特大の段ボールに詰め込んでいた。それでも入りきらない荷物は赤いボストンバッグにまとめ、ついでに送ってしまおうと、ほとんど無意識に着払い伝票を括り付けたらしい。段ボールだけは予定通り配送されたが、もうひとつの荷物は途中で伝票が抜け落ち、営業所で迷子になっていた。そこで「あれ、もうひとつの荷物は?」と思いもしなかった私は相当重症である。ボストンの中身は、演目ひとつ分の衣装と、飲みきれなかったエナジードリンクであった。何らかの圧で缶が破裂したのだろう。そんなことより、ないことが確定されない日々のほうがよっぽど辛かった。運送屋さんがボストンを持って来たときは、とにかくその状態から救ってもらえたよろこびでいっぱいだったのだ。荷物はビタビタでも手元にはある。クレームを恐れる配達員さんは、怒り出すどころか笑顔の私を、不審そうに見ていた。

 あるのかないのか、はっきりしない状態は私を鬱屈とさせる。この衣装はいつか着るのか着ないのか。しかし着ないと自分が決めれば、金輪際着ないのであり、それなら捨てても良い。できるかできないかわからないのではなく、自分でやらないと決めれば、一生やらない。書店のお客様だって、ない可能性が0にならなくても、延々と待たせたらイライラしてしまう。ある程度で打ち切って判断するのも、書店員には必要なスキルだ。不甲斐ない自分をお客さんと思って、ないと決めてあげなくてはならない。

 それで、しばらく返していなかったメールも、ズバーンと送信することにした。こちらも「ない」を決められずに、先延ばしにしていた案件だ。

 あの書店でやれることはない。私にはどこを探しても、やる気がない。だから契約更新はしない。日比谷の書店が閉店して、同チェーンの渋谷店に籍を置いていたが、もう働かないことにした。誰かが辞めさせてくれればいいのにと思っていたが、やっぱり自分で決めるしかなかった。ただの逃げではないのか、後悔するのではないか、それを絶対にないと言い切ることができずモヤモヤしていたが、あースッキリした! 嫌なことはやらないのが私である。

 千早茜の『男ともだち』が直木賞を獲らなかったから「新井賞」を作った。それが思いの外、反響を呼んで、直木賞候補であるかに関係なく、いちばん面白いと思った作品を、半年に一度、選び、発表し続けた。自分の売場で売りたい本を売るための方法として、その時はそれが最適だったのだ。ところが日比谷の書店の閉店が決まり、自分が責任を持つ棚はなくなり、それを続けることができなくなった。しかし、本当にできないのだろうか。書店員としての慎重さで、一年経ってもまだ答えを探し続けていた。そこへ、直木賞受賞の報せ。以前から決めていたわけでは全くない。願掛けのように続けていたわけでもない。ただ物事には終わるタイミングというものがあり、それがたまたま大きなよろこびとともに、ふと訪れただけである。まるで探していた本をお客様自身が見つけてくれた時のように、スッと終わった。

 私と彼女は、人生のリズムのようなものが同期しているのではないかと思う。作家としてデビューしたのと、私が書店員になったのと、直木賞を受賞したのと、新井賞が終わるのと。次の節目は何だろうか。楽しみでしかない。

 受賞記者会見は、渋谷のつくね屋のカウンターで見ていた。踊り子の姐さんに誘われて一緒に入ったのだが、姐さんは店内で行われるショーに出演するため席を外し、私はひとりでのんびり飲み食いしていたのだ。白木のカウンターに立て掛けた小さな画面の中で、全然上手く笑えていない彼女が可笑しい。同じクラスにいたら、真っ先に声をかけたくなるタイプだ。何だか無性にちはやんのおにぎりが食べたくなり、代わりにマスターに握ってもらった。具はもちろん、ウメだ。

 会見の言葉は料理の音にかき消され、聞こえたり聞こえなかったりだったが、ちはやんが最後に、少し早口で残した言葉が耳に残る。順番を前後して焼き上がったつくねを肴に、日本酒を飲みながら考えた。私にとって彼女の受賞は、自分に起きる出来事でこれほどうれしいことはあるだろうか、というほどうれしい出来事であった。あの賞は、受賞者本人よりも、作者やその作品が好きな人をめいっぱいよろこばせるためにあるのかもしれない。それなら、彼女の言う「いいことがあったら悪いことが起きるんじゃないか……」という心配は、何もせずに幸福を受け取った我々こそするべきだ。

 受賞のニュースが落ち着く頃、十年に一度と言われる大寒波がやってきた。めちゃくちゃ寒くて死にそうである。悪いことというのは、もしやこれのことか。しかし中には、その寒さが辛くない人もいる。逆に寒さで風邪をひいて最悪な人が、直木賞のニュースをよろこんだとは限らない。つまり出来事は出来事でしかなく、他の出来事との因果関係はあっても、人間の幸不幸とは無関係だ。止まない雨はないのと同じで、いいことも悪いことも続かない。

『しろがねの葉』は、受賞しようがしなかろうが、私の中での価値も、よろこびも、変わらない。ひとつ違うとすれば、何回かにわたって、直木賞受賞祝いだなんだと、特別においしいものを食べることができる、という点だ。胃が合う我々、連載が終わった、新刊が出た、春が来た、京都に来た、となにかにつけて、おいしいものを食べてきた。さて、一生に一度、あるかないかのドデカい賞、何を食べようか考えただけで目眩がする。おいしいごちそうを食べたあとに、いろいろ考えて落ち込む人もいるだろうが、我々はおいしかったなら、後悔などしない。そこだけは共通のポジティヴ。少なくとも私にとってこの出来事は、晴れのあとに晴れ、いいことを呼んでくるしかないのである。

千早茜

 去年の師走、まだ眠い朝の八時半、ぽっかり空いたままの新幹線の隣座席を眺めていた。

 新井どんが隣同士で予約してくれた席だ。けれど、しれっと来ない可能性は大いにある。彼女にはいつでも確約というものがない。たとえ京都行きの安くはない新幹線代が無駄になったとしても。あれはそういう、いきものだ。ふらっとどこかへ行ってしまいそうな危うさと読めなさをいつもまとっている。

 新井どんと待ち合わせをするスリルをひさびさに味わっているな、と思った。スリルといっても、来なかったら来ないで私はひとりでも京都を満喫できるのだが。なんせ人生の半分を過ごした地だ。生粋の京都人には眉を顰められそうだが、京都へは「帰る」という感覚が近い。ああ京都、と思慕の念に駆られていると、「うえーい」と低い声がして新井どんがどさっと隣の席に座った。まだ朝の顔をしている。

「おはようさん」と言って金沢土産の能登栗きんつばを茶とともに差しだす。十一月にイベントの仕事で金沢に行って、その土産も直接渡せていなかった。新幹線が走りだす。新井どんと、持参した菓子をどんどん食べながら他愛ない話をした。こうして並んでだらだら話すのはひさしぶりだった。

 去年はタイミングが合わないことが多かった。新井どんは踊り子の仕事で東京にいないことも多々あり、いたとしても私の仕事が忙しくて会えなかったりストリップ劇場に行けなかったりすることが続いた。二人の誕生日のある夏には私がコロナに罹ってしまい、合同誕生会はずいぶん遅れて開催した。私は体力のいる物語と取っ組み合っていて、持病の治療もあった。

「なかなか会えんな」「ひさしぶりだな」と言い交わしても、会えばいつも通りなのが良かった。帰りたいと思えば帰るし、別行動をしたくなればさっと散る。京都への旅も、冬の好物である蒸し寿司を食べ、パフェ店や喫茶店をはしごして、馴染みのビストロとバーに行ったあと、新井どんはふらりと姿を消した。私はホテルに戻って、ちょっとした雑務を片付け、持参したハーブティーを淹れて、明日に食べるパフェに向けてネイルを塗りなおしていた。日付が変わる頃、新井どんは上機嫌で帰ってきて「あー、さっぱりしていいねえ」と私の淹れたハーブティーをぐびぐび飲み、蜜柑をもりもりと食べてオレンジ色の皮の山を作った。私は、先に風呂に入り、先に寝た。早朝に起きると、テーブルの上はきれいに片付けられていた。

 喫茶店モーニングをはしごして、我々が愛する『いづう』へ行き、夕方まで食べまくり遊びまくった。一緒に東京に戻るかと思ったが、新井どんが大阪のストリップ劇場に顔をだしてくると言う。そういえば、彼女にしてはめずらしく手土産を買っていた。「おう、いってらっしゃい」と別れた。帰りの新幹線で小旅行を思いだし、相変わらずだなとちょっと安心した。

 実はこのとき、私にはもう直木賞候補の連絡がきていた。ただ、公式発表までは担当編集者以外には他言しないようにと告げられていた。しかし、どこからか情報は漏れるもので、出版業界のあちこちの知り合いからメールがくる。「ノミネートされたとか」とストレートに聞いてくる人もいれば、「良い報せを聞きましたが」とまわりくどく探りを入れてくる人もいる。正直、困った。言うなと言われていることを言いたくないし言わせないで欲しい。書店員の知人たちには特に言えない。仕入れをする際に不公平が生じてしまう。もちろん信頼している書店員は決して尋ねてはこない。

 いくつわらじを履こうが、新井どんも私にとっては書店員だった。最初は書店員と小説家として出会ったのだ。私とほぼ同じだけ、文芸出版の世界にいるのだから、候補者には先に連絡がいくことも知っているだろう。でも、彼女はなにも訊かなかったし、候補者が発表されても「なぜ教えてくれなかった」とくだらないことを言ったりもしなかった。思えば、新井どんが「新井賞」を作り、第一回受賞作を『男ともだち』にしたときも、私はそれを彼女のツイートで知った。新井どんが私に直接伝えることはなかったし、言われたとしても私は「そうなんだ」としか返さなかっただろう。作者として嬉しい気持ちはあったが、面白いことをするな、とどこか他人事のように眺めていた。

『男ともだち』が直木賞の候補になったのは二〇一四年のことだった。もう八年も経ったのか、と数えてみて驚いた。新井どんに二週間会っていないだけで「ひさしぶり」と思うが、八年ぶりの直木賞候補には思わなかった。賞とは必ず出会えるものではないから。賞とは自分以外の誰かの評価で、私はそこにあまり自分の感情を寄せたくはなかった。それは新井賞でも変わらない。そして、この八年、私は常に目の前の作品で手一杯だった。食エッセイという慣れないジャンルに挑戦したり、共作をしたりもした。『胃が合うふたり』もそういう試みのひとつだ。新井賞は『男ともだち』以降も続いていた。読んだ作品もあれば、読んでいない作品もある。書店員である新井どんの職場だった『HMV&BOOKS日比谷コテージ』が閉店するちょっと前から新井賞が発表されなくなっていたのは気づいていたが、なにも言わなかった。

 年末も正月も新井どんは踊り子として劇場に立っていて、めずらしく別々の大晦日を過ごした。私は築地に赴いて極上の削り節や利尻昆布を求め、毎年のように二種類の雑煮を作ったが、新井どんは食べにこれなかった。新井どんが必ずお代わりする京風雑煮はちゃんと京都で買ってきた白味噌を使った。今年もお互い忙しくなりそうだな、と思った。それはとてもいいことだ。

 疲れると、ふらりと会った。蒸し料理の店で好きなものをどんどん頼みながら「きりたんぽ鍋、食べてみたいんだよね」「じゃあ、行こう」「東北に?」「銀座にある。ただし、なまはげがでてくる」「静かに食べたいから追いはらってくれん?」とくだらない話をしつつ、「まあ、直木の結果がでてからだな」と約束をすることなく、いつもそこで終わった。気にしすぎないように気にしていた。

 そして、選考会の日、私は担当編集者たちと新潮社クラブという神楽坂の古民家に集まっていた。前日から体調が悪かった。大事な日はだいたい体調が悪い。基本的に間が悪い。担当編集者たちがカツサンドやわらび餅やクッキーなど、美味しそうなものをテーブルに並べた。私は彼女たちのリクエストでおにぎりを作っていった。他人のにぎったおにぎりを食べられない私はなんとなく畏怖の念を覚えながら、おにぎりをぱくつく担当者たちを眺めていた。塩むすびに焼きたらこ、一個だけ『しろがねの葉』の主人公ウメにかけて梅干しを入れていた。こたつで丸くなって茶を淹れ、薬を飲んでおこうとおにぎりに手を伸ばした。中は梅だった。当ててしまった。自分の好きな梅干しに、かために炊いた米、海苔も取り寄せている有明海のものだ。うまい、と思う。私の「うまい」に沿う完全なおにぎりだった。

 時間をかけて中国茶を淹れ、みんなに配り、茶器を片付ける。薬が効いて眠くなってきた頃に選考結果の電話がかかってきた。「ありがとうございます。すぐ向かいます」と電話を切ると、歓声があがり、そこからはもう嵐のようだった。どんどん祝いのメールやメッセージがくる。スマートフォンは震えっぱなしで、通知がすごい数になっていく。記者会見の合間や移動中に返信するが、まったく減らない。むしろ増えていく。「おめでとうございます!」に「ありがとうございます」を返していく。ずっと、ずっと「ありがとう」「ありがとうございます」を打ち込み続ける。だんだん恐怖を覚えてきた。この受賞によってそんなに自分は誰かの世話になってしまったのだろうか。感謝ってこんなにしていいものなのか。言うたびになにか削られやしまいか。そもそも「おめでとう」に「ありがとう」は正しい返事なのか。「ありがとう」ってなに? 「ありがとう」のゲシュタルト崩壊を起こしかけていたとき、新井どんからLINEメッセージがきた。私のエッセイ『わるい食べもの』のイラストで作った「乾杯!」のスタンプひとつだけ。反射的に「おうよ!」と返していた。それがなんの気遣いもない心の声だった。

 祝いと称して豪遊しようぜ、と返して、すごく気分が晴れ晴れとした。まずは新井どんと『資生堂パーラー』でパフェを食べて銀座で馬鹿みたいに遊ぼう、と思った。ネガティブな私は良い変化にも悪い変化にも弱いけれど、彼女との遊び場がある限り笑っていられる。

 後で、新井どんのツイートを見ると、その晩、彼女も梅のおにぎりを食べていた。さすがは胃が合う友。そして、わざわざそれを伝えてこないところがいかにも新井どんだった。

 さて、胃が合う友よ、祝いになにを食べようか。

新潮社 波
2023年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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