『冷戦終焉期の日米関係』
書籍情報:openBD
『冷戦終焉期の日米関係 分化する総合安全保障』山口航著(吉川弘文館)
[レビュアー] 井上正也(政治学者・慶応大教授)
大平・鈴木・中曽根政権の思考
「歴史は繰り返さないが、韻をよく踏む」という。ロシアのウクライナ侵攻から一年で急変した日本の安全保障政策を見ると、前提となる国際環境は大きく異なるにもかかわらず、約40年前を想起させる点が少なくない。
1979年、ソ連のアフガニスタン侵攻によって米ソの緊張が再燃した時、日本の総理は、岸田首相と同じ宏池会出身の大平正芳であった。対ソ制裁をめぐる西欧諸国の足並みが乱れるなか、大平政権は対米協調姿勢を鮮明にすることで、日米同盟を基軸とした「西側の一員」としての路線を定着させた。本書は、新たに公開された史料やインタビューを駆使し、この米ソ緊張下で大平・鈴木善幸・中曽根康弘の歴代政権がとった安全保障政策を論じている。
アメリカの覇権が衰退し、日本を取り巻く安全保障環境が変化するなかで、台頭してきたのが総合安全保障という概念である。もともと、大平政権が立ち上げた政策研究会が提唱した総合安全保障は、自国防衛、日米安保体制、国際環境の異なるレベルで、それぞれに見合った手段を模索する考え方であった。ところが、大平の死後、それが官僚機構に落とし込まれた時、経済、食料、資源といったバラバラの安全保障政策を各省庁が追求するようになってしまう。
本書の見所は、安全保障戦略が国内諸勢力の駆け引きを通じて形成される政治過程を克明に描き出した点だ。総合安全保障は、実のところ定義が曖昧なバズワードであった。それゆえ、異なる立場を包含し、様々な議論を経て、意味内容も再帰的に変化していったと著者は論じる。
課題山積の総合安全保障であったが、それでも、この時期、日本が自国の安全保障のビジョンを語るようになった意味は大きかった。とりわけ、激しい国内論争のなかで、対米協力の文脈において日本が果たすべき役割を明確にしたことは、冷戦終結後の新たな環境に適応する礎となった。秩序転換期に向き合った先人たちの思考の軌跡は、現代日本の安全保障にも豊かな示唆を与えてくれよう。