『国際法を編む 国際連盟の法典化事業と日本』高橋力也著(名古屋大学出版会)
[レビュアー] 遠藤乾(国際政治学者・東京大教授)
紛争回避へ 熱い手作業
ウクライナ侵攻後、毎日のように国際法が連呼される。でもそれはいつどうやってできたのだろうか。この本があつかうのは、国際法の父と称されるグロティウスやヴァッテルの時代ではない。二つの大戦のあいだ、戦間期だ。わずか二十数年のあいだに700件もの多国間条約が成立した「条約狂い」の時代である。
しかしそれは、第二次大戦で結局破局を迎える挫折の時期だったのではないか。国際連盟もまた失敗作だったのではないか。そんな声も聞かれよう。それに対して、この本は、否定的な評価に隠れたドラマ――1930年のハーグ国際法典編纂(へんさん)会議にいたる過程を追う。そこでは法的国際主義が熱く盛り上がり、連盟のもとで、慣習を定式化し、発展させる法典化作業が進行した。
そもそも「法」という代物はのっぺらぼうに映るかもしれない。それをだれがどんな思いで作っているのかをふだん意識することはなく、外から課される無機質な枷(かせ)くらいのイメージだろうか。ましてや国際法は市井の人には縁遠い。
しかしそれは、生身のひとが各々(おのおの)の出身国と国際法への思いを緊張含みで抱え、時に友情を介し、時に一言をめぐり激しく対立しながら、手作業で産み落とす紛争管理のツールだ。著者のまなざしは、その「法を編む」国際法学者と外交官、「国際法マフィア」に注がれる。
この時期の日本は決して受動的な存在ではない。松田道一、長岡春一といった外交官、立(たち)作太郎などの国際法学者が中心となり、官学を挙げ、国益を背負いながらも、西洋の列強が作った枠を真に国際的・普遍的なものへと改鋳をこころみる主体だった。法的国際主義の精神は、「妻の国籍」をめぐる議論をつうじてジェンダーにいたるまで、日本の生き方を照らした。著者によれば、その精神は、戦時下の「大東亜国際法」の時代にすら意識され、戦後に継がれゆく。
ここに外交史、国際法(史)、国際機構研究の三つが交錯する豊かな歴史が紡がれた。日本と国際社会のかかわりに関心がある人にも響く作品だ。