『荒地の家族』
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生活の至る所にこびり付く“災厄”の記憶と想起の引き金
[レビュアー] 宮司愛海(アナウンサー)
本作は、宮城県南部にある亘理町で植木屋として働く40歳の男性・坂井祐治が、約10年が経った今もなお残る震災の記憶や身近な人々の死に耐え忍ぶように暮らす日々を描いた物語である。前妻の晴海の病死、生まれるはずだった赤ん坊の死。苦境に立つ同級生の明夫、そして祐治の元を去っていく再婚相手の知加子。次々とやって来る死や別れにどうにもならない虚しさや憤りを感じながら、息子、母親と、残った者同士寄り合い暮らす祐治の日常が淡々と描かれる。
2月下旬、担当している夕方のニュース番組の取材で作者の佐藤厚志さんにお話を伺うため、仙台へ赴いた。その後、せっかくなので作品の舞台となった亘理町へも足を伸ばしてみることにした。亘理町は、内陸側は道も家もとても綺麗でのどかな雰囲気だったが、海へと近づくにつれ田んぼや畑が増え、どこか寂しげな印象に変わっていった。車を降り、舗装されていない海沿いの道を歩くと、冷たい風が強く吹き付け体の芯から凍えた。あの日どれほど寒い思いをしたのだろうと考えずにはいられなかった。作中で「人から海を守っているよう」だと表現される防潮堤は間近で見ると思っていたよりも高く、無機質にそびえ立っており、まるであの恐ろしい記憶を呼び起こさないようにしているかのようだった。
佐藤さんはインタビューで、「フィクションであるがゆえに真実を込めないと伝わらない。だから自分の味わった気持ちを思い起こしながら、できるだけ嘘がないように書いた」と話していた。亘理町で目の前に広がるはじめて見た光景は、物語を読んで頭の中で思い描いていたものとほぼ変わらず一致していた。何となく、自分の中で合点がいった。
作中にこんな場面がある。祐治は、亘理町の北部に流れる阿武隈川の河口に向かって歩きながら電信柱が新しくなる地点であの“災厄”を思い返す。それは、ここが津波に襲われたことを意味している。祐治にとって「この世とあの世の境目」である電信柱のように、日常のあらゆるシーンに“災厄”を思い起こさせる引き金が潜んでいるのだということに気づかされる場面だった。
被災地と、そこで暮らす人々に思いを馳せる。震災の記憶は生活の至る所にこびり付いていて、復興を遂げたとされても逃れることのできない苦しみを感じながら生きる人がいる。この作品はそのことを思い出させるとともに、きっと誰かにとっての痛みの記録でもあるのだろう。