『荒地の家族』佐藤厚志著(新潮社)
[レビュアー] 鵜飼哲夫(読売新聞編集委員)
巨大な防潮堤 癒えぬ心
今年で100年となる関東大震災で、東京は下町を中心に火の海にのまれたが、帝都だけに復興は早かった。3月11日で12年となる東日本大震災はどうだろうか。もともと過疎だった土地も多いだけに復興の道は容易ではない。
第168回芥川賞を受けた本作は、ふるさとが根こそぎ海に押し流され、〈白い要塞〉のように聳(そび)える〈防潮堤より他に建設するものはなかった〉町が舞台である。主人公祐治は、造園業を始めた直後に〈災厄〉で商売道具を流され、2年後には妻をインフルエンザで亡くし、ひとり息子と母と暮らしている。それからある女性と再婚したものの、とある不幸から逃げられ、息子との対話も弾まず、どうにも冴(さ)えない。
それでも仕事の日程を着実にこなし、無心に木を植え、剪定(せんてい)する。その筋肉の美しく、たくましいさまに、「たとえ明日、世界が終わりになろうとも、私は林檎(りんご)の木を植える」という昔の名言を思い出しながら読み始めた。
だが、小説は安易な希望は語らない。災厄の大きさを示す巨大な防潮堤を見ながら、穴に木を植える祐治の〈どれだけ土をかぶせてもその穴は埋まらなかった〉という心の叫びなど、そこで生きる人々の、復興事業からは置き去りにされた内面を丁寧に掘り進めていく。
主人公が過去の人間関係を振り返り、〈時間が経てば癒えると信じ、そっとしておこうという態度は見て見ぬ振りと変わらなかった〉と述懐する場面は強烈だ。苦しむ人たちに「明けない夜はない」という声がかけられることがあるが、それは災厄で時が止まってしまったのに、歳(とし)だけは取っていく人々の心にどこまで届くのか――そう思わされた。
著者は25歳で創作を始め、デビューまでに10年。その後の3年間で作品が3本没になり、一度は「終わったな、と絶望感があった」という。現役書店員が再起して書き続けた新作には、名言では救われぬ人々に寄り添う言の葉がある。