うまくいかなかったことを努力不足と切り捨てる社会に違和感 「誰にも腹を割れない息苦しさ」を就職氷河期世代の作家が語る

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死にたいって誰かに話したかった

『死にたいって誰かに話したかった』

著者
南, 綾子
出版社
双葉社
ISBN
9784575526332
価格
770円(税込)

書籍情報:openBD

「幸せになるという義務からみんな解放されるべき」「誰からも愛してもらえない人生を考える」就職氷河期世代の作家が描く「成長」「努力」への疑問とは──『死にたいって誰かに話したかった』南綾子インタビュー


生きづらさの影にあるのはなんなのか?(画像はイメージ)

「ブクログ」や「NetGalley」でランキング1位を獲得するなど、読書家から高く評価された小説『死にたいって誰かに話したかった』に共感の声が寄せられている。

 あたたかい家庭がほしいと願うが、恋人どころか友人もできず空回りばかりしている女性が、悩みを共有できる人を求めて「生きづらさを克服しようの会」を発足し、そこに集った「普通」に生きられない人たちと、悩みながらも不器用に前進していく物語だ。

 現代人が抱える「生きづらさ」を描いた本作の著者は、2005年に第4回「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞して作家デビューした南綾子さん。現在42歳、就職氷河期世代で、能力主義や成果主義に縛られていたという南さんに、生きづらさの要因や絶望的な孤独に追い詰められる背景、そして「成長」や「努力」といった形ではない、穏やかに過ごすための提案を語ってもらった。

■生きづらさの影にあるのは、コミュニティから排除され続けた苦しみや誰からも愛してもらえない絶望的な孤独

──新刊『死にたいって誰かに話したかった』はあたたかな家庭に憧れを持ちながら、恋人どころか友人もおらず、仕事も空回りしている30代後半の独身女性・奈月が「生きづらさを克服しようの会」を発足することから物語が始まります。こういったグループを小説に登場させた背景などあれば教えてください。

南綾子(以下=南):生きづらさをテーマにしようと決めたときに、他人の承認を得ること、かけがえのない存在(とくに恋愛の成就)によってその生きづらさが解消される――という物語には絶対にしないでおこうと決めました。そういう物語に触れて夢を与えられたような気になる人もいるかもしれないけど、「あー自分とは無関係の話だ……」とがっかりする人も多いんじゃないかと思って。現に自分もそうです。そういうハッピーエンドは自分の身には起こらない。子供の時からずーっと待っていたけど何にもなかったという人は多いのかもと思って、そういう人たちに向けて書きたいなと思いました。

 でも生きづらさを軽減するものはやっぱり、他者とのかかわりしかないかもしれないとも思います。だったら恋人とか夫婦とか友人とか、名前のはっきりした関係性以外のかかわりを他人と持つだけでも救いになってほしい、なるんじゃないかと考えて、生きづら会の構想がぼんやりとうかんでいきました。「生きづらさを克服しようの会」という名前はひらめきです。

──「生きづら会」は、自分のことを話し、聞き手はただその話を聞くことがルール。しかし、登場人物たちは、序盤はうまく話せていません。「ただ自分のことを話す」というのは実はハードルが高いのかもしれないと読んでいて思いました。南さん自身はハードルを感じますか? それを越える突破口みたいなものってあると思いますか。

南:わたしは職業柄もあるし、さらに同じ職業の人たちの中でもおのれのさらけ出し度が高い仕事歴であると自負しておりますので、わたし自身が突破口になる自信があります! つねに自分の人生、生き方を考えてそれを文字にしてきたので、何を話したらいいのかわからない、みたいな気持ちになることはなさそうです。それが難しい人は、最初はわたしみたいなやつの語りをとにかく聞いてみる、というのが一番いいんじゃないでしょうか。誰かが語るのを聞いているうちに自分も語りたくなる、ということがある気がするし、それは作中にも入れました。

 最近すごく思うのは、会話がコミュニケーションツールでしかなくなっているのってどうなんだろう? ってことです。「自分語り乙」っていうネットスラングがありますよね。そういう言葉が受け入れられている背景には、自分語りがコミュニケーションツールとして成立していない上に、大抵の自分語りはオチもヤマもないから面白くもないし役立つこともない──聞く側の実益がなく、ただ話し手が気持ちよくなっているだけだから「乙」ってバカにされる、という空気があるのかな、と。でも、気持ちいいならどんどんみんなやればいいのにと思います。本当は、役に立つだけの会話のほうがつまらなくて、そういう会話では人との関係性がどんどん空虚になっていくんじゃないかなと思います。

──南さんの作品といえば、「個性的」では済まされない癖の強い人間がたくさんでてくるところも読みどころだと思います。今回登場人物について参考にした実際の経験やモデルはいましたか。

南:いろいろ調べて、生きづらさにもいろいろな傾向があるけど、だいたい共通するのは神経過敏ぎみになってしまうことなんだと学びました。とくに他人の気持ちが気になりすぎる、というのは生きづらさに直結しやすいように思いました。一番最初に登場する奈月は他人の顔色を見すぎることが悩みだと話していた友人をモデルにしています。しかしその友人は他人に気を使いすぎる反面、物事をあまり深く考えずポジティブな面もあるので、そのポジティブ要素を削ったのが奈月という感じです。

 あと、最近よくネットなどで見かける弱者男性(編集注:非正規雇用などで低収入、コミュニケーションが不得意、女性にモテないという特徴を持ち、いわゆる男性特権を得ず不遇を感じている男性が自称として使うことが多い)をどうしても今回は扱いたくて、“非モテ”に関する見識を広げようと、男性の友人知人に話を聞きに行きました。とくに普段から「モテない」アピールをしていた友人に声をかけ話を聞かせてもらったんですが、彼らの話を聞いているうちに、「モテない」と他人にむかって言える人たちはこの物語の登場人物にはなりえないと気づきました。そんなこと他人に言いたくない、言うぐらいなら死ぬと思っている人がいる……そういう人に目を向けようと気づいたのが大きかったです。非モテ男性の苦しみは、単に性欲が満たされないってことなのかなとわたしも軽く考えてしまっていましたが、そうじゃなくて、コミュニティから排除され続けてきた苦しさや、誰からも愛してもらえない絶望的な孤独があるということを学びました。どうしてもそれを表現したいと思いつつ、でも上記の通り、それが恋愛の成就によって解決するというのだけはやりたくないと思いました。

 わけあって妻子と別居している元医者の薫と、マウンティングがやめられないセレブ妻ふうの茜はわたしと同世代のアラフォーで、我々世代は旧来の男らしさ、女らしさの圧力と、現代の多様性推進の板挟みになってどうふるまうのが正しいのかわかんなくなっている人が多そうなので、そんな感じの人物にしました。この2人は書きやすかったです。

──事前にゲラをよんでもらったレビュアーさんや書店員さんからは、「この会に参加したい」や「この本に書かれているようなことを求めていた!」という声が多くあがりました。死にたいまではいかずとも、消えたいとかもうやめてしまいたいと感じる人は多くいると思います。この反響について思うことや感じることがあれば教えてください。

南:みなさん、「生きたくない」でも「死にたい」でもなく、「死にたいって話したい」のかなと思いました。誰にも腹を割れない息苦しさがあるんですかね。人生の幸福度を重要視される世の中って息苦しいなってことなのかもしれない。

■1日1秒幸せ、あと残りの時間は全部ゆるい不幸。そんなに頑張らない。それでもいいじゃないと思います

──本書に出てくる登場人物と同じく、若年層でも孤独死に怯える人が増えているそうです。今回のお話には、孤独との付き合い方についてもヒントのようなものが書かれている気がしました。家族がいたり仕事がある状況や、他人から見れば恵まれている境遇でも孤独を感じやすい人が多い世の中、人はどうやってサバイブしていくのがいいように思いますか?

南:孤独や不幸を解決、解消するのではなく、少しでもやわらげながら生きていく、という方向性のほうがいいと思うんです。未婚のまま年をとると不幸度が増すとか、幸福な老後を迎えるためには貯蓄がいくら必要とか最近よく目にしますが、いやだなあと思います。幸福であることが人生の最重要課題にされるとわたしは苦しいです。幸せってそんなに持続性のあるものなんですかね? 1日1秒幸せ、あと残りの時間は全部ゆるい不幸、それでもいいじゃないと思います。幸せになるという義務からみんな解放されるべきですね。

 そのために完璧な家庭を作ることや、恋人や親友と呼べるかけがえのない関係性を獲得することを目指すのではなく、茶飲み友達ぐらいのゆるーい関係性を1つでも持っておく、というのはいいのかもしれないです。1年に1度でも、3年に1度でもいいから連絡がとれる人がいる。そのぐらいのゆるいつながりでもいいから1つは確保しておく。あとはそんなに頑張らない。それでいいような気もします。

──前作『タイムスリップしたら、また就職氷河期でした』では生まれた時代というどうしようもないことで行き詰まりを感じる男女を描かれていました。南さん自身も就職氷河期世代で、その経験が内容に反映されていたかと思います。今作でも、ご自身が日頃から思っていたこと、抱えてる生きづらさから生まれた描写があれば教えてください。

南:就職氷河期と同時期に世の中に台頭していまだに幅をきかせ続けているのが、能力主義、成果主義、努力至上主義で、わたしもながらくそれらに縛られていたような気がします。優秀な人はその能力に相応しい成果を受け取るべき、反対に役に立たない人間は切り捨てられても仕方がない、努力しているのにうまくいかない人は努力の方向性が間違っている。そういう言説にあんまり疑問を抱いていませんでした。能力主義の世界では、うまくいかないことは全部努力不足が原因になってしまう。それは明らかに生きづらさの要因の一つだと思います。非モテなんて最たる例で、モテないのは努力が足りないせい→だから頑張って相手に振り向いてもらおうとする→無茶な行動に出る→ふられる→努力を否定されて怒りに火がついてモンスター化、なわけです。

 そもそもなぜ人は大人になっても努力し、成長し続けなければいけないのか? 努力しなかったら確かに人生は広がらないけど、冒険をしなければケガもしないし、そんなふうに平穏無事に生きていくのもアリなんじゃないかな? とか考えたりしました。本文中に、誰からも愛してもらえない人生を考える、というくだりがありますが、そんなことを考えながら書きました。

──『21世紀の処女』は、経験がなく純情なことは正義で美しいものとして扱われる風潮に一矢報いている印象がありました。同じように、本作でもそういった斬り込んだ部分があれば教えてください。

南:奈月が語っている、シスターフッドの足切り問題ですかね。本当にすべての女性と連帯しようとしてくれてます? という疑問を抱いています。結構厳しい審査、ありますよね? みたいな……。

──この本を人におすすめするときに添えたい一言があれば教えてください!

南:フィクションであろうと、他人の幸せを喜べない気分のときに読んでほしいです。

 ***

南綾子(みなみ・あやこ)
1981年愛知県生まれ。2005年「夏がおわる」で第4回「女による女のためのR‐18文学賞」大賞を受賞しデビュー。『結婚のためなら死んでもいい』『タイムスリップしたら、また就職氷河期でした』など著書多数。

COLORFUL
2023年2月2日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

双葉社

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