『蝙蝠(こうもり)か燕(つばめ)か』西村賢太著(文芸春秋)
[レビュアー] 鵜飼哲夫(読売新聞編集委員)
愚直に師思う遺稿3編
芥川賞の記者会見には1991年からほぼ出席し、質問してきたが、断トツで反響があったのは、西村賢太さんが受賞した2011年の回であった。小生の質問は「受賞の瞬間は?」というありきたりなものだったが、答えはありきたりではなかった。「そろそろ風俗でも行こうかなと。でも行かなくてよかった」
この回からニコニコ動画が会見を中継し、中卒で日雇い労働もして作家になった氏には、「フリーターの星」と話題が沸騰。根は小心者ながら一朝事あると破れかぶれになる著者とほぼ等身大の主人公北町貫多の物語はベストセラーになった。以降も昨年2月の急逝まで私小説一筋だった作家の3編をまとめた遺稿集である。
「妬む」「愚痴る」「怒る」の三毒を煮詰め、それを独特のユーモアに転じさせる作風は、本作でも変わらないが、歿後(ぼつご)弟子として師事した大正期の私小説作家・藤澤清造へのひたむきな思いをつづった三編には、しらふで会う時の作家に感じた、根の愚直なまでのまじめさがあふれる。野垂れ死にした師の無念を引き受け、その全集刊行をデビュー前から準備。「今に、見てろよ」とばかりに、それから四半世紀、師の月命日には石川県七尾市にある墓に通い、掃苔(そうたい)し、師の肉筆原稿などを買いあさり、その額合わせて4000万円というから、呆(あき)れるというより、作家が愛した師の句〈何んのそのどうで死ぬ身の一踊り〉という狂熱なまじめさだ。
表題作では北町貫多が、暴飲暴食から体調を崩し、死の予感にさいなまれるさま、人生最大の目標の達成を念じつつ、そのあとの空虚を恐れる気持ちまでつづっている。
結句、夢は果たせず、師の「無念」までもしっかり引き継ぎ、人生の幕を閉じた。主人公の名は、本名の西の村を北の町にし、「『貫』の字は下が『貝』で『賢』と同じで、音も似ている。ただそれだけです」と生前語っていたが、堂々たる首尾一貫した人生だった。