『セックスする権利』
- 著者
- アミア・スリニヴァサン [著]/山田 文 [訳]
- 出版社
- 勁草書房
- ジャンル
- 社会科学/社会
- ISBN
- 9784326654390
- 発売日
- 2023/02/02
- 価格
- 2,970円(税込)
書籍情報:openBD
『セックスする権利 (原題)The Right to Sex』アミア・スリニヴァサン著(勁草書房)
[レビュアー] 森本あんり(神学者・東京女子大学長)
万人に保障か否か問う
アメリカ東部で学生アルバイトをしていた80年代、仲間たちが周りの女性を「ファッカブル」かどうかで値踏みしていた。そんな野卑な言葉が学術論文や新聞の書評欄に登場する時代がくるとは、しかも今やそれがあの若い男性たち自身に適用されるべき評価基準として跳ね返ってくるとは、想像もできなかった。
標題の「セックス」には二通りの意味がある。一つは存在としての性で、セクシュアリティともいうが、これは誰もがもっている。もう一つは行為としての性で、本書はこちらが万人に保障されるべき権利なのか、つまり誰もがセックスする権利があるかどうか、を問うている。
ユートピア社会主義者のフーリエは、すべての人に「最低限のセックス」を保障すべきだと論じた。「ベーシックインカム」と同じように、性的な欠乏状態がなくなってこそ自由な恋愛関係が可能になるからだという。二〇一四年にカリフォルニアで銃乱射事件を起こした二二歳の男性がこれを聞いたら、さぞ喜んだに違いない。性的に周縁化されていた彼は、自分を拒んだ「人類の女ども」への復讐(ふくしゅう)を語って「インセル」(不本意な禁欲主義者)の代名詞となった。
もちろんそんな権利はない。サンドイッチを分け合うのとは違って、二つめの意味でのセックスには相手が要るからだ。いや、サンドイッチを分けてもらうにも同意は要るが、セックスに必要な同意ははるかに重い。誰かを欲望の対象にする権利や、誰かの欲望の対象にされる義務はない。だが同時に、フェミニズムはその「欲望」が家父長制や人種差別や商業資本に深く影響されたものであることも指摘してきた。性は高度に個人的であり、かつ高度に政治的である。
最後に一言。不本意な禁欲主義を論じる前に、自ら禁欲を選び取る人々があることを覚えておきたい。その現実は欺瞞(ぎまん)に満ちているかもしれない。だがそれでもなお、人は「存在としての性」を「行為としての性」へと展開しない選択と決断をすることがある。わたしはそこに人間の自由の可能性を見る。山田文訳。