活躍できないのは「能力不足」のせいじゃない ガン闘病中の元外資コンサル母が執念で書いた本とは

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「能力」の生きづらさをほぐす

『「能力」の生きづらさをほぐす』

著者
勅使川原 真衣 [著]/磯野 真穂 [解説]
出版社
どく社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784910534022
発売日
2022/12/21
価格
2,200円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「能力社会」の欺瞞を正したい。闘病中に著す「亡き私」から子への言葉

[レビュアー] おおたとしまさ(おおた・としまさ)

 コンピテンシーだのスキルだの、人間の「能力」を細かく分節化して名づけ、それを測定するテストが商品化され、足りていない能力についてはそこを補うための研修も商品化される。そもそも人が発揮する「パフォーマンス」は、置かれた状況やまわりの環境次第で大きく変わるものなのに、組織の中に不都合が起こると、あたかも個人の「能力不足」のせいにされてしまう。

 個人が社会の中で活躍できるかどうかは“有用”な「能力」をもっているかどうかに尽きる。その「能力」を効率的に育成するのが学校教育の役割であり、「能力」が足りないがゆえに社会の中で活躍できず、心を病んでしまったひとたちは心理療法で対処する――。そんな過剰な「能力社会」の欺瞞を本書は明らかにしていく。

 と書くと、いかにもとげとげしい言葉が並ぶ本であるかのように誤解させてしまうかもしれないが、安心してほしい。亡くなったはずの母親がある日2人の子どもの前に現れて、ときどきお茶や菓子を口にしながら、「はろぅ、母さんです」なんて調子で会話をする、ちょっとコミカルなスタイルで綴られている。

 著者は、大学院で教育社会学を修め、企業の採用担当を経てコンサルティング会社に就職。企業の人材育成に携わる。そこで「個人」の「能力」なんて、幻のように実体のないものであるのを目の当たりにしたという。その後、起業し、人材開発ではなく組織開発コンサルタントとして数々の企業を支えてきた。「能力」を個人のレベルで平準化するのではなく、凸凹がある人間同士をうまく組み合わせて組織をつくる発想に転じたのだ。

 そして現在、ガンで闘病中。2人の幼い子どもがいる。新米社会人と高校生になった15年後の子どもたちにすでに他界した自分が語りかけるという、シュールで切ない設定である。

 壮絶な闘病の中で著された一冊。著者の意欲を支えたのは、人材系のコンサルタントとして「能力」を商品化してきた過去をもつ自分自身への贖罪の意識であり、この間違った社会構造を少しでも正してからでないと幼い子たちをあとに残して死ねないという執念だった。筆致は柔らかいのに、行間から伝わってくる覚悟には心を刺され、親として読むと、ときに涙をこらえられなくなる。

 何気なく書籍のカバーを外して、そこに現れた4行のコメントに私はしばらく見入った。魂から絞り出された言葉がそこにはあった。

新潮社 週刊新潮
2023年4月6日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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