『音楽学への招待 = Invitation to musicology』
- 著者
- 沼野, 雄司, 1965-
- 出版社
- 春秋社
- ISBN
- 9784393930403
- 価格
- 2,860円(税込)
書籍情報:openBD
『音楽学への招待』沼野雄司著(春秋社)
[レビュアー] 苅部直(政治学者・東京大教授)
楽譜の裏側 深める楽しさ
二十世紀以降の現代音楽には、「図形楽譜」というものによって書かれた作品がある。五線譜に並んだ音符ではなく、線や図形が記された「楽譜」を演奏者が「読む」ことを通じて、空間に響く音へと変わるような作品である。
作曲家の意図を表現した楽譜に基づいている以上、これは単なる即興演奏とは異なる。たとえばタイトルや作曲家自身の発言といった言葉や、作品をめぐる歴史上の背景。そうした楽譜の外の情報を、演奏者があらかじめ考えあわせることで、演奏が成り立っている。
この本で音楽学者である著者、沼野雄司は、そうした楽譜外の情報を読み取る作業が必要になる事態は、たとえばバロック音楽の演奏においても生じると指摘する。作られた時代の理論書や、当時のほかの作品を参考にして、テンポや強弱を決めなくてはいけないからである。
別の面から見れば、言葉が演奏を支えることを通じて、音楽は生まれている。音楽学もまた、そうした言葉と音楽とのつながりを意識的に実践し、分析する営みと言えるかもしれない。音楽史学、音楽解釈学、音楽社会学といった諸分野の手法を使ってみせることで、その学問の魅力を伝えてくれる本である。
モーツァルトの音楽を聴くことで、人の頭がよくなるか否か(音楽心理学)。音楽が儀礼や戦争において使われてきた歴史と、プロレスの入場テーマ曲との関係(音楽民族学)。アメリカ独立宣言百周年を記念する祝典行進曲を作るよう依頼され、結果として「駄作」を残すことになった、リヒャルト・ワーグナーの逸話(音楽史学)。そういった楽しめる話題で、読者を学問研究の世界へ誘っている。
もちろん、そうした明るい話題ばかりではない。音楽政治学の章は、第二次世界大戦の直後、「赤狩り」の時代のアメリカで、作曲家が置かれた苛酷な運命を生々しく語っている。音楽と社会との関わりは、健全な協調関係ばかりとは限らない。硬軟さまざまな主題と、多くの方法をとりまぜながら、音楽学の「自由と愉(たの)しみ」が一冊に盛りこまれている。