「それは二〇二〇年の大晦日にはじまった」はじめての自衛隊お仕事小説アンソロジーの魅力を陸・海・空それぞれの三人の著者に語ってもらった

対談・鼎談

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まもれ最前線! 陸海空自衛隊アンソロジー

『まもれ最前線! 陸海空自衛隊アンソロジー』

著者
福田和代 [著]/神家正成 [著]/山本賀代 [著]
出版社
光文社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784334915193
発売日
2023/03/23
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『まもれ最前線!陸海空自衛隊アンソロジー』刊行記念 神家正成、山本賀代、福田和代 座談会

[文] 光文社


福田和代さん

自衛隊、自衛隊員ってどんな人たちで、どんな仕事をしてるんだろう――なかなか知る機会のない現場の自衛隊員たちとその仕事、悩み、喜びなどを描いたアンソロジーが登場。陸、海、空それぞれを書いた三人の著者に作品とこのアンソロジーの魅力について語ってもらった。

――自衛隊の現場に立つ自衛隊員たちの視点で描かれた小説のみで編まれたアンソロジーは、いままでなかったものだと思います。まずこのアンソロジーの企画がどのようにして立ち上がったのか、またそれぞれ作品の執筆に入る前の準備などどうなさったのか、うかがえますでしょうか? この企画の発案者である福田さんからお願いします。

福田 アイディアが降ってきたのは、二〇二〇年の年末でしたでしょうか。コロナ禍でも国と国との諍(いさか)いが収まるわけではなく、たとえば日本の近海に偵察機が飛んできたりとかいうのは、減ってるんですがやっぱり止まない。国の境を越えてみんなで病気と闘うのかと思ったら、そうじゃなかった。では自衛隊の皆さんはコロナ禍でたいへんなんじゃないか、どんな風に過ごされているんだろう、と思いまして。陸、海、空それぞれの自衛隊をテーマにした中篇という形で、小説をいただいてアンソロジーを編むことが出来たら面白いものになるんじゃないか、と。

 で、Twitterで以前お話ししたことがあったので、陸は神家さん、海は山本さんにお声がけしたら、お二人とも快諾してくださったんです。それで光文社さんにお話ししたところ、そんなアンソロジーは聞いたことがない、とても面白そうだといってくださいまして。トントン拍子に話が進んだという感じでした。

 その後は皆で顔合わせをして、それもZoomなんですよね。メールでこういう話を書きたいというやりとりをして。それからは個別で進みました。

――三作を通じて登場するキャラクターが二人いますね。ニュースキャスターの神福山梢子(かみふくやましようこ)と川崎(かわさき)医官。皆さんでお話しなさって、共通で登場させる人物を作ろうということはあったんですか?

神家 最初、福田さんからお話をいただいて陸、海、空をそれぞれが書く、初めはそれくらいのおおまかな話で、個別に担当者の方と詰めていったんです。そうなのですが、初稿の段階でのミーティングの際にコロナ禍の共通の世界観なので、共通して出てくる人物がいると面白いね、という話になりまして。それでニュースキャスターと、わたしの作品に登場する川崎という医官、自衛隊の医者ですね、それが三作品の中で変化していくのがいいんじゃないか、ということになったんです。ニュースキャスターの神福山は本当にちらっと出てくる脇役なんですが、問題は川崎医官の設定でした。わたしの作品ではダイヤモンド・プリンセス号に陸、海、空それぞれから医官が派遣されていたのでどこの所属でも良いのですが、山本さんの作品に登場する砕氷艦に乗るには海上自衛官でなくてはならない。それで、わたしが川崎の初期設定を詰めて、あとは皆さんにお任せして書いていただいた、という感じですね。

――川崎が三つの作品を通して変化していくことで時系列も見えるし、全体をまとめるキャラクターにもなっているな、と思いました。みなさんがいままでお書きになっていらっしゃる自衛隊に関する作品と、今回の作品で意識的に変えていらっしゃるところとか、このポイントがいままでと違ったな、というところがあったらうかがいたいのですが。

山本 わたしは今までキャラ文芸といわれるジャンルで、キャラを意識してください、と求められて書いてきたのですが、今回は冒険小説的な要素を入れられたらいいな、と考えて書いたので、わたしにとってはチャレンジでした。

――砕氷艦を舞台になさったのは、最初からのお考えだったのですか?

山本 このお話をいただいたときに、海上自衛隊を書くのに、どの艦を題材にしようか、と考えました。護衛艦とか掃海艇とか、また海上自衛隊にもヘリなどもありますし。このアンソロジーのキーワードは「コロナ禍」でしたから、コロナ禍で任務において大きく変化を求められた艦を題材にしたら面白いのでは、と思ってニュース記事なんかを見ていたんです。そうした艦の中でも「しらせ」が一番任務における変化を求められた艦ではないか、と判断したので、それなら南極に行く物語にしよう、そこに冒険的な要素も入れられる、と思い、そういう物語を書くことが出来たかな、と思っています。

――任務の変化というのは、コロナ禍で接触を避けるために無寄港の航海になるというのが大きいのでしょうか。

山本 そうですね。無寄港、それに無補給、そして南極観測隊の人数も大幅に減らされているんです。それぞれの他の艦にも大きな変化があったと思うんですが、「しらせ」は題材に出来るかな、と思いました。

――なるほど、ありがとうございます。では、神家さんはいかがでしょうか。

神家 わたしはデビュー作が南スーダンPKOを題材にした『深山(みやま)の桜』という長編作品だったんです。この作品には植木(うえき)と甲斐(かい)という自衛官が登場します。次の『七四(ナナヨン)』にも植木と甲斐を出し、第三作の『桜と日章』でも植木を出したのでシリーズのようになりましたが、それぞれ独立して楽しめる作品です。それぞれ物語の中心になる視点人物を二人登場させています。ただ今回は、百二十枚くらいの中篇ということでしたので、出来事も絞られますし、主人公も一人にした方がいいと思いました。基本的にわたしの長編では主人公は二人いるんです。交互の視点で進めていく形なんですが、今回は一人にしてみっちり書きたい、と思ったのが違うところです。

――主人公の内面の描写も多かったですね。

神家 六十枚くらいの短篇だと、書けるものも少ないと思うのですが、百二十枚まで行くと、主人公の過去の話とか、家族との絡みも書けるんじゃないか、と。それが今回書いていて面白いところでした。

――ありがとうございます。福田さんはいかかでしたか。

福田 違い、というとなかなか難しいのですが、まず爆弾が出ない(笑)。事件自体はそれほど大きなものではなくて、身近なところで起きることを解決していく。『碧空(あおぞら)のカノン』もそういうところがあるのですが、今回は百二十枚くらいということでミステリーにしたいな、その中で航空自衛隊を描きたい、と思ったんですね。それで今回の舞台になっている築城(ついき)基地にうかがって取材させていただいたのです。戦闘機というのは基本的にパイロットが一人、もしくはせいぜい二人乗りなので、職場環境としてはそんなに大きくコロナ禍の影響を受けていないのではないか、と思っていたんですが、基地の運用面で、例えば一つの班が全滅しないように半分に分けて、片方が感染しても片方は無事でいるような工夫がずいぶんなされていました。食堂なんかも接触しないように工夫されているんですが、廊下、階段、お手洗いとかも二分割されていて、A班、B班で別々に使う、という風に全部徹底して分けて接触しないようになっていて、なるほど!と思いました。

 神家さんの作品に登場するダイヤモンド・プリンセス号の中でも感染が拡大しないようにされていましたね。

神家 そうですね。休憩を取るときも感染リスクが高い人間と低い人間が別々になるようになっていましたね。

――三人の方に参加していただき三作品まったく違うテーマを書いていただいたので、コロナ禍が自衛隊の活動にどのような影響を与えたのかを広い視界で多角的にみることの出来る興味深いアンソロジーになったと思います。ありがとうございます。今回、作品のご執筆にあたってご苦労をされた点や、工夫なさった点など、うかがえますでしょうか。まず福田さんからお願いいたします。

福田 わたしはそもそも、現地に行って取材して、それから書くのがスタイルなんですけど、今回は最初、それが出来なかったんです。それで自分の知識だけでまず書いて、最終的に書き上がったあとに、『今なら取材に行けるよ』っていわれて、大急ぎで取材させてもらったんです。途中までは、取材なしで書かなければいけないんじゃないか、って思ってました。ドキドキでしたね。

――それはやはりコロナのことがあって?

福田 そうですね。見学者をストップしていたんです。

――全作、現場に行って取材してから書いていらっしゃる、というのは凄いですね。

福田 小説を書くためといいながら、実際にそれを見られる、というのが(笑)。戦闘機に触ったりできますからね。

山本 それは、この仕事に携わって美味しい部分でもありますね。


神家正成さん

――神家さんはご執筆でのご苦労は?

神家 わたしの場合はそんなには取材をしないんです。一作目は南スーダンが舞台でしたし(笑)。その分、ウェブでの情報だったり、関連書籍を徹底的に読み込むスタイルなんです。

 今回、最初にアイデアプロットを出して、担当者とディスカッションをしたんです。最初がダイヤモンド・プリンセス号、二番目が自衛隊中央病院、三番目が沖縄の災害派遣、急患空輸の案でした。その中からダイヤモンド・プリンセス号に決まったんです。

 企画のお話があったのが、二〇二〇年の末、確か大晦日の日に福田さんからTwitterでご連絡をいただいて快諾させていただき、二月くらいに関係者を交えて打ち合わせをして、初稿をその年の六月くらいまでに書くことになったんです。当時はまだダイヤモンド・プリンセス号の出来事が終わって一年くらい。関連書籍がほとんどなかったんです。ウェブサイトなどの情報はあったんですが、初稿の段階では二冊くらいでした。その一年後くらいにまたいくつか資料になる本が出て、最終的にまた新しい本を見つけたので、それを読み込んでいろいろ付け加えていきました。

――当時、あの船の中がどうなっているのか、全然わかりませんでしたね。

神家 そうですね。豪華客船に乗ったことがないので雰囲気がわからない(笑)。取材にもいけませんからね。

――山本さんはいかがでしたか?

山本 わたしは皆さんみたいに流れるような文章が書けるわけではなくって。本当に書くことじたいがわたしにとってはたいへんなんです(笑)。今回は皆さん、おっしゃるように取材は難しかったです。「しらせ」は乗ったことはないですし、資料を探したりするのもたいへんでした。ですが、一番はどういう主人公にすれば面白くなるのか、すごく悩みました。テーマを砕氷艦、南極に向かう艦にしようと思ったときに、どういう人にスポットライトをあてて書けばよいのか。艦長がいいのか、乗員の方がいいのか、最終的に落ち着いたのが今の主人公だったんです。

神家 最初視点人物が二人でしたね。

山本 はい。艦長がメインの場面も多かったんですが、編集さんとのディスカッションで、一人に絞った方が面白くなるのではないか、ということで今の形におさまりました。今までと違う一般文芸書籍ということで、勉強することが多かったです。

――みなさん、それぞれ陸、海、空の自衛隊をテーマにした作品を書き続けていらっしゃいますが、その理由をうかがえますか? 神家さんは陸上自衛隊にいらっしゃったわけですが、それ以外の要素などいかがでしょうか。

神家 自衛隊ってひと言でいっても業務の内容は多種多様で、陸、海、空、それに背広組の防衛省職員ですね。特に陸、海、空は文化もまったく違います。

 陸上自衛隊の中でも十六に職種が分かれています。職種によっても、部隊、駐屯地によっても全然違います。わたしが経験したのは少年工科学校(現在の高等工科学校)という自衛隊の高校と富士(ふじ)学校という教育機関、それに北海道の第七二戦車連隊という本当に一部だけで、他の部分のことはわからないんです。

 デビュー作を書いたときに、なるべく知っている世界を書いた方がリアリティが出るだろうと思い、父親が陸上自衛隊の施設科だったので、ある程度は知識があり、施設科を舞台に書きました。二作目、三作目も陸上自衛隊がテーマになったのですが、本当は海と空も書きたいんです。けれど、縁と機会がないと書けませんので。

――山本さんの、海上自衛隊をお書きになっていらっしゃる理由は?


山本賀代さん

山本 もともと祖父が終戦間際に海軍で出征して、終戦後は無事に戻ってきたんです。祖父はわたしが子どもの頃になくなったので、海軍の話をしたという記憶はないのですが、祖母や父からそういう話をたくさん聞いていました。また、わたしの家族は船が好きで、よく乗っていました。船が好きなのと、祖父の影響があって海上自衛隊のことを書いているんだと思います。

――ありがとうございます。福田さんはいかがでしょうか。

福田 子どもの頃に新谷(しんたに)かおるさんの『エリア88』が大好きで、そこから入って『ファントム無頼』を読んで、戦闘機に憧れがあったんです。それで小説家になってから、ミサイル防衛を書きたくなりまして。ミサイルはどうやったら止められるのか、とかですね。二〇〇七年頃に近くの某国がミサイルをボカンボカンと撃ってくるのに備えて、市ヶ谷(いちがや)の駐屯地にペトリオットミサイルが配備されたんです。その写真が新聞の一面を飾ったんですが、私たちの側、つまり一般の市民はたくさん、当時のガラケーでミサイルの写真を撮っていて、中の人たちは小銃を構えて護っている。門の外と中とで雰囲気が全然違うんです。それを見たときに、このギャップはいったい何なんだろうという気持ちがありました。それで航空自衛隊の広報室に、ミサイル防衛について取材したいといったら、「また、えらいところに来ましたね」といわれました。それがご縁のはじまりで、航空自衛隊ってどういう仕事をしてるんだろう、という思いで書き始めたんですね。基地にも取材をさせてもらいました。その頃から航空祭にもあちこち行くようになりました。

――ご自分の作品、そしてこのアンソロジーをこういう風に読んでほしい、というメッセージがありましたら、うかがいたいのですが。

神家 自衛隊は人によって見方がまったく変わってしまう組織です。諸手を挙げて賛成する方もいれば、大反対、言葉も聞きたくない、という方もいて、わたしの父、そしてわたしが自衛官だった頃は今よりもひどかったんです。わたしが少年工科学校の頃、一年生の外出は制服着用がルールだったんです。制服に対しては、興味深くみてくる方もいるんですが、中には顔をしかめて指さしてくる方もいて、そういう時代もあったんです。でも自衛隊員も一人の人間ですし、家族もあり、いろんな思いもあってやっている。

 わたしは父親の背中を見て育ちました。父は陸上自衛隊の施設科だったのですが、施設科っていうのはいわゆる工兵で、部外工事というのがあるんです。どこかの小学校の校庭をならしたり、道路を造ったりするのですが、昭和三十年代、四十年代はそれが多くてほとんど家にいなかった。世間にいろいろいわれても黙々と任務をこなしていく、そういう父をみてわたしも自衛隊員になりたい、と思いました。

 自衛隊という外からはよくわからない組織、というイメージがだんだん変わったその潮目になったのは阪神・淡路大震災などでの災害派遣と国外でのPKO活動などですね。それで多くの方が自衛隊のことを小説に書くようになったんですが、そのなかでも自衛隊の派手な活躍というよりは、そこに生きている一人の個人を書きたいし、わたしも知りたい。それが自衛隊小説ではなく自衛隊員小説を書く動機です。虐げられても、非難されても、称えられても、結局現場は変わらない。与えられた場所で与えられた任務を愚直にこなしている人たちがいるんだということを、物語として伝えられることは多々あるのではないか、と思っています。

山本 神家先生が全ておっしゃったので、付け加えることはないのですが(笑)。神家先生も福田先生も、現場の自衛官の声を吸い上げて反映している、という作品が多いと思うんですが、わたし自身がお二方のファンでして、このような機会をいただけてとても嬉しかったのと、こういうところで汗を流している人たちがいるんだよ、と物語を通して伝えることをお二方と一緒に出来たことが嬉しかったです。この一冊を作ることが出来て、ただただ感無量です。

福田 わたしは現場で働くプロフェッショナルの仕事がすごく好きなんです。特にインフラを支えているプロの仕事が好きです。

 安全保障はインフラの一種なんです。まず安全保障がしっかり出来ていて、国家が安定しているからその上にいろんな生活が成り立つのであって、自衛隊員はそのインフラを護っている人たちなんだ、というのを書きたいと思っています。今回、その趣旨にぴったりな神家さん、山本さんに、わたしのいきなりのお誘いにもかかわらず、参加していただいて一冊の本にまとまったのが、本当にありがたいし嬉しいことです。ありがとうございました。あとは、多くの方に手にとってもらえたら、と思っています。

神家正成、山本賀代、福田和代

光文社 小説宝石
2023年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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