<書評>『語りと祈り』姜信子(きょうのぶこ/カン・シンジャ) 著

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語りと祈り

『語りと祈り』

著者
姜, 信子, 1961-
出版社
みすず書房
ISBN
9784622095699
価格
4,400円(税込)

書籍情報:openBD

<書評>『語りと祈り』姜信子(きょうのぶこ/カン・シンジャ) 著

[レビュアー] 松村洋(音楽評論家)

◆民の記憶とつながる

 日本の伝統的な音楽には、器楽曲がほとんど無い。主役は歌謡だ。まず言葉がある。それに節を付けて、声にのせる。とくに、長い物語を歌い語る「語り物」は、旅する芸能者たちによって広められ、さまざまに形を変えながら、人々に親しまれた。

 本書は、宗教的起源を持つ中世来の語り物である説経節の代表的な演目「さんせう太夫」が明治期に森鴎外に乗っ取られ、近代的世界観に基づく小説『山椒大夫』に書き換えられた、という指摘から始まる。続いて、山伏祭文(やまぶしさいもん)、説経節、瞽女歌(ごぜうた)、江州(ごうしゅう)音頭などから浪花節(なにわぶし)(浪曲)まで、語り物の系譜がたどられる。

 行く先々で、民の「記憶」とつながる物語を、声が変幻自在に語り継ぐ。その歌い語りが作り出す「場」で、人々は過去と現在を行き来し、世界を理解した。だが、近代国家によって「土地の神々と結びついていた人々の生の記憶や物語、声によって開かれた神や物語の宿る『場』が力ずくで消されていった」と著者は言う。それは、風土に根差した人々の多様な生き方が否定されることを意味した。

 民の「怒りや悲しみや痛みの滲(にじ)んだ声」が感応し合う語りの場は「他の誰かの大きな声にのまれず、理不尽に支配されないための拠(よ)りどころ」となる。そうした場の力を引き出す言葉を求め、詩人の金時鐘(キムシジョン)や谺(こだま)雄二、足尾鉱毒事件の田中正造、異人(まれびと)論の折口信夫(しのぶ)、水俣の石牟礼(いしむれ)道子らが論じられ、まつろわぬ声の場のよみがえりを目指す渡部八太夫(わたなべはちたゆう)と著者の試み「旅するカタリ」が最後に紹介される。

 本書は芸能論・文学論を通して、近代国家に絡めとられない知のあり方、生き方を問う。そこに見えてくるのは、アニミズム/アナキズム的な世界観だ。こうした世界観の探求こそ、じつは現在の地球環境危機や社会状況の荒廃を乗り越える唯一の道ではないか、とさえ思える。近代国家に消された民の記憶。民の祈りを語る声。その根底にあった世界観、生き方を探る。それはたんなる復古ではなく、私たちが生き延びるためのまさに現代的な課題だろう。

(みすず書房・4400円)

1961年生まれ。作家。著書『はじまれ、ふたたび』など多数。

◆もう一冊

真鍋昌賢著『浪花節 流動する語り芸』(せりか書房)。近代の語り物と社会の精緻な考察。

中日新聞 東京新聞
2023年4月2日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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