<書評>『よき時を思う』宮本輝 著

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よき時を思う

『よき時を思う』

著者
宮本 輝 [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784087718225
発売日
2023/01/26
価格
2,200円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

<書評>『よき時を思う』宮本輝 著

[レビュアー] 重里徹也(聖徳大特任教授・文芸評論家)

◆街、食、建築 味わい深く

 宮本輝の小説を読んでいると、少し変わった建物にしばしば出会う。日常ではあまり見ない建築は、そこで暮らす人々の生活を彩り、人生観に影響を与える。おいしいものが楽しめるのも宮本作品の魅力だ。日々のごはんに意外な美しさを見つけ、ぜいたくな料理に舌鼓を打つ。食べることは生きる喜びに直結しているのだと実感させてくれる。

 宮本文学は街のたたずまいにも敏感だ。風土と歴史が立ち現れた街を登場人物たちが歩く。じわじわと土地の霊のようなものが物語を染めていく。人間が歴史の中で生きていることが伝わってくる。

 この長編小説でも、まずはこの三つが楽しめる。主人公は二十九歳の女性。海運会社の経理部に勤めている。彼女は東京・東小金井に住んでいるのだが、暮らしている家が興味深い。

 四合院(しごういん)造りという中国の伝統的な様式の家屋だ。中庭を囲んで東西南北に四棟が建てられていて、全体は塀に囲まれている。ヒロインはその一棟で生活しているのだ。この小さな共同体のような建築が、登場人物たちが濃密な関係を持つ、小説全体の通奏低音になっている。

 滋賀県近江八幡市の主人公の実家で暮らす九十歳の祖母も重要だ。彼女は戦場へ行く青年と結婚し、夫の戦死後も婚家に数年間、とどまった。再婚した彼女が九十歳の記念に、子供や孫たちを招待して、自ら晩さん会を開くというのが物語の主筋だ。

 祖母は小学校の先生を長年、勤めた人で、気品があり、教養が深い。彼女にまつわる話がいずれも味わい深い。特にかつての生徒が吃音(きつおん)を克服した姿は感動的だ。

 おいしいものは晩さん会の豪華な料理だけではない。アイスクリームも、そばも、すぐにでも食べに行きたくなる描写だ。京都の路地や近江八幡の宿場町をはじめ、旅したくなる街並みも登場する。

 建築、食べ物、街並み。すべては厳しいが温かい人間ドラマを演出していく。ベテラン作家の自在な筆で、人生って捨てたものじゃないなと思わせてくれるのだ。

(集英社・2200円)

1947年生まれ。作家。作品に『骸骨ビルの庭』など多数。

◆もう一冊

宮本輝著『流転の海』(全9部、新潮文庫)。大河小説。主人公は作者の父親がモデル。

中日新聞 東京新聞
2023年4月2日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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