東京大学総長の伝説に残る名式辞からツッコミどころ満載の失言まで……学生に贈った言葉から見る日本の近現代史

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式辞の変遷に見る日本の近現代史

[レビュアー] 石井洋二郎(東京大学名誉教授・中部大学特任教授)


日本の近現代史の変遷と東京大学総長の式辞(写真はイメージ)

 明治10年の創立から常に学問の中心としてあり続けた東京大学。大震災、戦争、大学紛争、国際化と、その歩みはまさに日本の近現代史と重なり合うこの大学の歴代総長たちは何を語ってきたのか?

 名式辞をめぐる伝説からツッコミどころ満載の失言まで、時を超えて紡がれる「言葉」をひとつずつ紐解いた新書『東京大学の式辞 歴代総長の贈る言葉』を刊行した東京大学名誉教授の石井洋二郎さんが、日本の近現代史の変遷と式辞の一端を紹介しながら、新書刊行の意図を語った。

石井洋二郎・評「式辞の変遷に見る日本の近現代史」

 毎年、大学の卒業式や入学式の季節になると、そこで語られた式辞の内容がしばしば話題になる。中でも東京大学総長のそれは、良くも悪くもとかく注目されがちである。

 今回、一八八六年から一九九七年までの式辞を収めた『東京大学歴代総長式辞告辞集』を通読してみて、折々に語られた言葉が歴史の流れといかに密接に関わってきたかを実感した。

 近代化をめざして富国強兵にひた走った明治時代から、無謀な戦争に向かって突き進んだあげくに敗戦を迎え、戦後民主主義から高度経済成長へ、そして安保闘争から大学紛争へと混乱の続いた昭和時代を経て、バブルの狂躁と崩壊にいたる平成時代まで、歴代総長の式辞にはまさに日本の近現代史が色濃く影を落としている。


石井洋二郎さん

 特に印象深かったのは、太平洋戦争の前後に、何人かの総長たちがひたすら天皇を賛美し、愛国心を鼓舞する国粋主義的な式辞を述べていたことである。「諸君の多数はまた、遠からず皇軍に召されて、入営出征の光栄を担ふことにもならうと思ひます」(平賀譲)とか、「今こそ諸君は直接軍務につき、思ふ存分尽忠報国の誠を効すの光栄を荷ひ得ることとなり」(内田祥三)といった言葉が学問の府を代表する人間の口から発せられるのをまのあたりにすると、当時の社会を覆っていたどす黒い空気が紙面から漂ってくるようで、こちらまで息苦しくなってくる。

 これにたいして、戦後の復興期に総長を務めた南原繁や矢内原忠雄の式辞には、学問の自由と大学の自治を重んじる姿勢が明確に謳われており、文章もさすがに格調が高い。「虐げる者となることなく、虐げられた者を救ふ人となれよ。諸君の生涯を高貴なる目的のためにささげよ」(矢内原忠雄)といった言葉に触れると、その凛然たる語り口に思わず背筋が伸びる思いがする。

 もっとも、東京大学の総長だからといって皆が皆、立派なことばかり語ってきたわけではない。中には眉をひそめたくなるような失言のたぐいも少なからず含まれている。特に今日から見るとジェンダー平等の理念に抵触するような発言がしばしば見られるので、そうした箇所については本書でも遠慮なく指摘しておいた。

『式辞告辞集』に収録されているのは第二十六代総長・蓮實重彦の一九九七年入学式式辞までなので、その後の総長式辞は扱っていないが、最近は来賓の祝辞もネットでとりあげられる機会が多くなったので、本書では安藤忠雄、ロバート キャンベル、上野千鶴子の三氏の祝辞を最後の「補章」でとりあげた。いずれも今日を生きる若者たちにとってのみならず、すべての人々にとって有益な示唆を含んだメッセージばかりなので、あわせて読んでいただければ幸いである。

新潮社 波
2023年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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