『貴族とは何か ノブレス・オブリージュの光と影』君塚直隆著(新潮選書)
[レビュアー] 苅部直(政治学者・東京大教授)
高貴な人々 歴史と責務
十八世紀の英国で思想家・政治家として活躍したエドマンド・バークは、「天性の貴族」(ナチュラル・アリストクラット)が政治を担うことが望ましいと説いた。本書がくり返し伝えるエピソードであるが、これは家柄ではなく「識見・能力」において優れた人々に政治参加の特権を与えるべきだという考えである。
バークの発言の背景には、ヨーロッパ諸国の歴史に独自な特牲がある。中世以後、貴族という身分集団が、政治・経済・社会・文化のあらゆる分野において大きな影響力を示してきた。本書で君塚直隆はまずその歴史を、中国との比較もまじえながらたどっている。
近代に入るとフランスに代表されるように、大陸諸国においては貴族制が批判され廃止されるようになってゆく。ところが英国のみにおいては、工業化と民主化、さらに二度の世界大戦をへても貴族が集団として存続し、世界で唯一の貴族院がいまも健在である。
その謎を解く鍵になるのが、ノブレス・オブリージュ、「高貴なるものの責務」をめぐる意識の強さである。英国では貴族が租税を多く負担し、貴族院議員をはじめとして、さまざまな公務の処理にあたっていた。十九世紀以降の自由化・民主化の潮流のなかにおいても、政治制度の改革を貴族自身が提起するといった形で、時代に順応しながら存続してきた。
近代の日本の華族制度も、本来は英国の貴族を模範として設計されたが、制度だけを導入してもうまくいくはずはなく、戦後改革において消滅した。だが二十一世紀の現在、党派の利害や世論の気まぐれが政治を翻弄(ほんろう)するのを制御する「良識の府」として、参議院を機能させるためには、英国貴族の歴史が参考になるだろう。さらに市民の一人一人が、バークの言う「天性の貴族」として政治を支える気がまえが、今後は求められるのではないか。そうした重要な問いかけを、本書は歴史からひきだしている。