『映画を追え フィルムコレクター歴訪の旅』山根貞男著(草思社)
[レビュアー] 金子拓(歴史学者・東京大教授)
幻の作品探し津々浦々
大阪の生駒山麓にある廃線となった鉄道の廃駅。なおプラットホームが残り、その奥に「伝説のコレクター」の住まいがあった。かつて保線夫詰所(つめしょ)だったらしい。家の中には映画のフィルム缶のほか夥(おびただ)しい物が積まれ、訪ねるたびにそれらは増えている。その人はいつも温顔で迎えてくれ、整理中だという映画のリストも快く見せてくれるのだが、いざ貸し出しを申し入れるとはぐらかされ、やんわりと断られる。様々な思い出話を聞かせてくれるが、なかには雲をつかむような話も入り混じり、とうとうフィルムを借りることは叶(かな)わなかった。訃報(ふほう)を聞いてただちに蒐集(しゅうしゅう)品の保全に動き、家にあったフィルムは無事公的機関に収蔵できたが、故人が話していたり、リストに書かれてあったりした劇映画のフィルムは含まれていなかった。あの映画のフィルムはどこへ。本当に存在するのか……。
こんな人が現実にいるのかと訝(いぶか)ってしまうほど、強烈な個性をもつコレクターの話に惹(ひ)きこまれ、フィルムの貸借をめぐる駆引(かけひ)きに読むほうも手に汗握る。
コレクターには開放型と閉鎖型がある。著者が訪れ、取材するのはもちろん開放型の人びとであり、彼らは集めたフィルムを喜んで見せてくれる。可燃性なので保管に細心の注意を要するような昔のフィルムを大切に守り、望む人に惜しみなく提供する精神に思わず手を合わせたくなってしまう。
映画評論家であり、古い日本映画を発掘して国内や海外で紹介する普及活動にも尽力した著者が出会ったコレクターたちの蒐集譚(たん)を取材したのが本書である。“集めた所(人)に物が集まる”というコレクションの自然原則めいた言葉が浮かんでくる。貴重な証言も満載で、フィルムは溶かしてマニキュアや靴墨になるから戦後の生活のため売られたそうだ。
デジタルの時代にフィルムを集めて残すことにどのような意義があるのか。本書はそれに触れることで締めくくられる。著者は2月20日に逝去された。本書が生前最後の著書となってしまった。謹んでご冥福(めいふく)をお祈りしたい。