『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』済東鉄腸著(左右社)
[レビュアー] 川添愛(言語学者・作家)
自分を肯定 激変の人生
本全体に、底知れないエネルギーが漂っている。まるで、著者が千葉の実家の自室で大量に蓄えたマグマが、文章のあちこちから吹き出しているかのようだ。
タイトルにもあるとおり、著者は大学卒業以来引きこもり生活を続けており、自宅からほとんど出ないままルーマニアで小説家としてデビューした。こんなことを言っても何を言っているか分からないと思うが(私も最初は分からなかった)、本書でその道のりを辿(たど)っていくと実際に可能なのだということが分かる。だが、可能だからといって誰にでもできるわけではない。著者が苦しみの中で「周りと違う自分カッケェ」というナルシシズムを全面的に肯定し、「これだ!」と思うものに全力で飛び込む思い切りの良さを発揮したからこそ、達成できたのだ。
面白いのは、著者を外の世界へと導いたのがルーマニア“語”だということだ。私は一応言語学徒なので、「どの言語を話すかは、世界をどう見るかに影響する」という手垢(てあか)の付いた言説に今さら驚くことはない。しかし、著者が「俺にとって重要なのは、俺を取り囲む、このどこまで行っても日本って感じの全てについて、ルーマニア語で考えるってことなんだ。(中略)それが最高に楽しい」と書いているのを読んで、私は今まで言葉の力というものを正当に評価してこなかったのではないか、と反省させられた。
著者はルーマニア語で創作に励むだけでなく、自身の使う言葉を「日系ルーマニア語」と位置づけ、ネイティブから「間違っている」「不自然だ」と言われる言い回しに対して新たな可能性を見いだしている。また著者は同様の観点から、日本語の「永遠と」のような表現や、「俺」を含む多様な一人称についても熱い思いを巡らせる。「AIが翻訳してくれるから語学は不要」などと囁(ささや)かれる昨今、人間と言葉の関係について改めて考えてみたい人、そして何より自分の人生が見えずに迷っている人に強くお勧めしたい。