ギャルとギャル男の集団に研究者が「潜入」したら見えてきたこと『若者たちはなぜ悪さに魅せられたのか』著者に聞く

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若者たちはなぜ悪さに魅せられたのか

『若者たちはなぜ悪さに魅せられたのか』

著者
荒井 悠介 [著]
出版社
晃洋書房
ジャンル
社会科学/社会
ISBN
9784771037120
発売日
2023/03/02
価格
7,040円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

ギャルとギャル男の集団に研究者が「潜入」したら見えてきたこと  『若者たちはなぜ悪さに魅せられたのか』著者に聞く

[文] 新潮社

若い頃のヤンチャに意味はあるのか

 こうした「成功者」たちの姿からは、よく耳にする俗説を思い出す読者もいることだろう。「若い頃は、ちょっとくらいヤンチャな奴の方がいいんだよ。そのほうが社会に出てから大成するもんだ」という例の物言いだ。人によっては、この後に「俺も若い頃はさあ」と続くわけである。

 一方で「いや、ワルい奴は基本的にはワルいまま。真面目な人のほうがいいに決まっている。例外が目立つだけ」といった意見もある。不良だった過去、暴走族上がりを自慢するなんてもってのほか、という考えだ。荒井氏は、こうした議論をどう見ているか。

「私が調査した対象には、一生不良として生きていきたいという人はほぼいません。おおむねの志向としては、やはり一般の社会で経済的に成功したいと考えているのです。

 そうであるならば、不良をやることは、倫理的な側面に加え、リスクが大きいので基本的にはお勧めできません。特に、このインターネット社会ではリスクが高すぎます。

 若いころ不良をやっていたこと、いわゆる”ヤンチャ“なことをしていたことが、将来の一般社会でも役に立つ資本となる、というのは調査開始から20年の間で明らかになった事実です。

 しかし、そののち一般社会で成功をする前提には、本人の学歴が高く、親からの豊富な経済的援助があり、しかも、社会的経歴を傷つけてない、というシビアな条件があります。

 特に、社会的な経歴を傷つけないことは大切です。学校中退、逮捕などにより社会的な経歴が傷つくと、やはりその後一般経済社会で大成することはなかなか難しい。悪いことが役にたつ社会に生きているという現実とともに、やり直しがききづらい社会に生きているという現実を知っておかなければなりません。

 それでも親の経済的支援がある場合は、学校中退や就職活動の挫折等の問題であれば、その後時間をかけて、高度専門職の資格を取るために大学に通うことや、資格試験、留学などにより巻き返すことができます。そうした事例も多くありました。

 ただし、そうした支援がない場合、経済的に恵まれていない場合は、成功するため、あるいは巻き返すための資金を得るために、悪いことをせざるを得ない、という発想になっていきます。

 そうして悪事で金を稼いだうえで、一般社会での仕事にスムーズに移行する者もいます。が、大金が入るという魅力に負けて、一般社会に移行しても悪さを続ける者や、悪い仕事をし続ける者も多くいます。

 また、大きな事件に関わりネット上に名前が残ってしまい、悪いことでやっていこうとならざるを得ない人もいます。こういう人たちはいつまでたっても不良のままです。
 
 不良文化が一定の人を惹きつける面は否定できません。不良性のある武勇伝や、悲劇のヒロインの物語、ピカレスク(悪漢)ロマンは人を惹きつけます。また、以前ほどではないにせよ、元不良などの経歴を持つ人のことを過剰に評価する風潮は常にあります。こうした風潮の中では、悪さが“箔”や“カリスマ性”として、一般経済社会で役に立つ材料にもなってしまいます。

 でも、先ほどお話ししたように、実際には不良になると、一生その道から外れない、外れられないことも珍しくありません。犯罪の抑制という点から考えた場合には、不良自慢のような風潮、悪い経歴を過剰に美談として評価する風潮を無くすことが重要です。幸いなことに、社会のコンプライアンスの強まりとともに、そうした風潮は減ってきているのではないでしょうか」

「ヤンチャなくらいのほうがいい」といった物言いに安易に乗っかるのは要注意ということのようだ。ただし、社会が「クリーンさ」を強く求めすぎることにも問題がある点は知っておいてほしいともいう。

「過剰にコンプライアンスが高まりすぎるのも問題です。過去の悪さや失敗がいつまでも烙印として残り続け、社会的経歴に傷がついたままだと、一般経済社会に移行することはできません。そうした人は悪い方向でしか自己実現できなくなってしまいます。

 私が研究対象としていた人たちの多くは、自己実現の欲求が特に強い人たちでした。

 彼らは社会的に認められなくても、経済的には稼いでやろうと考えます。その彼らの過去の経歴を過剰に掘り起こして排除するような行いは、逆の効果をもたらす怖れがあるのではないかと思っています。

 悪さ自体は厳しく取り締まって抑制しつつも、過去をいつまでも記録して一生レッテルを貼り付けるのではなく、再チャレンジしやすい仕組みや制度を整えることも必要だと考えております」

 そのためにも、彼ら/彼女らの思考を知ることは重要だ、という。本書には「オラオラ」「チャライ」の定義やその意味などにも社会学的な考察が加えられている。アカデミックな文章で「オラオラ」について書かれているあたりは読者に新鮮な印象を与えるだろう。

「異色の研究と捉えていただくことも多いのですが、私がやっているのは、実はフィールドワークを扱った社会学の分野では、古典的な研究の系譜を引き継ぐとてもスタンダードな研究の系統にあります。こうした研究では、ギャング、ホームレス、暴走族などが対象となっていますね。

 ただ、私が対象としているような不良文化のフィールドワークに実際に取り組む研究者はあまり多くはないですし、年々困難になっています。元中核メンバーが、加入から引退後まで20年以上継続的に調査を行っているという経歴は、海外でも珍しいようで、国際学会などでもよく驚かれます。

 私は自分と同世代の不良文化を主な研究対象としてきましたし、彼らの今後やその影響を受けた人たちのことについてはこれからも見続けていきたいと思っています。
どの国でも、いつの時代でも、不良文化は存在してきました。戦国時代の傾奇者の集団から愚連隊、カミナリ族、太陽族等々。そうした人たち、そしてその背景にある人間社会を理解するために役に立つような、何らかの形でこれから先の社会を生きる人々の幸せに結び付くような研究を続けていきたいと考えています」

 ***

荒井悠介(あらい ゆうすけ)
一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了、博士(社会学)。現在、明星大学人文学部人間社会学科助教。「Gathering 文化からSharing文化へ―渋谷センター街のギャル・ギャル男トライブの変遷」(木村絵里子・田竜蔵・牧野智和編『場所から問う若者文化―ポストアーバン化時代の若者論』晃洋書房、2021年)、「社会的成功のため勤勉さと悪徳を求める若者たち―渋谷センター街のギャル・ギャル男トライブ」(多田治編『社会学理論のプラクティス』くんぶる、2017年)、「ユース・サブカルチャーズの卒業の変容ギャル・ギャル男サークルからの引退を事例に」(『年報カルチュラル・スタディーズ』vol.1、2013年)『ギャルとギャル男の文化人類学』(新潮社、2009年)。

Book Bang編集部
2023年4月26日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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