『シャルトルの彫刻たち 聖母の衣の裾に触れる』高野禎子著(八坂書房)

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『シャルトルの彫刻たち 聖母の衣の裾に触れる』高野禎子著(八坂書房)

[レビュアー] 小池寿子(美術史家・国学院大教授)

大聖堂の彫像 丹念に解く

 2019年春、パリのノートル=ダム大聖堂が炎上。石造とはいえ、とくに穹窿(きゅうりゅう)(天井)内部には多くの木材が使用され、蝋燭(ろうそく)などの燃え残りでも焼失の危機はある。文化財とは何かを再考する機会であった。仏革命以降のカトリシズム弾圧が聖堂や修道院の破壊に及ぶ一方、ユゴーの『ノートル=ダム・ド・パリ』のように、文芸の動きは文化財保存へと時代を動かし、「もの」(物質)の価値と、人類の精神的支柱を担う文化遺産への関心が高まってゆく。そして「もの」と「精神・信仰」を形にした中世美術再評価が20世紀初頭に始まるのである。

 本書は、パリ南西シャルトルのノートル=ダム大聖堂への誘(いざな)いの書である。ロマネスクからゴシック期にかけて本格的に建造された最大級のこの聖堂は、幾度となく火災に見舞われている。異教ケルト信仰の拠点に建てられ、聖母マリア(ノートル=ダム)の衣を聖遺物として所蔵するが、1194年の大火災ではそれは奇跡的に救出され、聖母子のステンドグラスも焼失を免れた。シャルトル・ブルーを基調としたステンドグラスと彫刻群によって装飾された大聖堂は神学哲学の中心となり、巡礼者や学徒を擁した中世文化の拠点となった。

 聖堂は聖書の教えを伝え、神学思想に裏打ちされたキリスト教歴史観と道徳観を伝える機能をもち、信徒に救済への道を示す。ステンドグラスや彫刻は、そのためのプログラムを有する視覚的百科事典なのである。精神を宿した物質。それこそが中世聖堂の神髄と言えよう。

 本書はプログラムの全容を解読する研究書ではない。シャルトルの最重要テーマは聖母だが、著者が記すようにスルーしている。救済論も聖母論も複雑な神学論争を基盤とし詳述は難しい。主眼は、彫刻に寄り添い、手と目で触れるように丹念にキリスト教図像を解き明かすことにあるが、詳細な年表と各概観図が資料価値を高める。「もの」との対話から紡ぎ出される言葉と、著者の目によって撮影された画像は、物質こそが精神世界への扉を開くことを伝えてくれる。

読売新聞
2023年4月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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