『進化的人間考』長谷川眞理子著(東京大学出版会)

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進化的人間考

『進化的人間考』

著者
長谷川 眞理子 [著]
出版社
東京大学出版会
ジャンル
自然科学/生物学
ISBN
9784130639552
発売日
2023/02/21
価格
2,420円(税込)

書籍情報:openBD

『進化的人間考』長谷川眞理子著(東京大学出版会)

[レビュアー] 森本あんり(神学者・東京女子大学長)

言語や文化持つ特殊性

 言葉を覚え始めた幼児が「わんわん」「お花」と言う。こちらが「うん、かわいいね」「きれいだね」と言うのを待っている。お返事せずにいようものなら機嫌を損ねてたいへんである。

 本書によると、この些細(ささい)なやりとりの瞬間に、ヒトは六百万年の進化を旅している。ヒトとチンパンジーは、ゲノム解析ではほんの数パーセントしか違わない。人間だけが偉いわけじゃない、と研究者たちは言いたがる。だが本書は、人間がいかに特殊な動物かを教えてくれる。

 たしかに、チンパンジーも多くの単語を覚えて使うが、それらを文法的に組み合わせて会話をすることはない。というか、そもそも「話したい」と思わないらしいのだ。これには驚いた。チンパンジーは自分の要求を訴えるだけだが、幼児は「わんわんかわいい」「お花きれい」と世界を描写する。しかも、言って終わりではなく、相手が自分の思いを受け取って共有していることを確認する。つまり、単に発信するだけでなく、心と心がつながったことを自分で確認したいのである。この入れ子構造の認識が「自意識」を生み、文化の蓄積を可能にする。

 遺伝の話になるとよく出てくるテーマもある。肥満遺伝子はあるか。自分の危険を顧みずに人助けをしてしまうのはなぜか。食料があるのに少子化が進むのはなぜか。人間の本性は善か。男女の脳は性的分業の生物学的な結果か。

 思わず膝を打つ発見も多い。ヒトは共同繁殖なので、親だけで子育てをするようにはできていない。食性からみたヒトの適正密度は、一平方キロ当たり一・五匹。ヒトは向社会的な共感脳をもつので、ネットの炎上は社会性の裏返しの表現かもしれず、万人が万人に狼(おおかみ)であるとするホッブズ説は誤りである、などなど。

 ただし、著者は徹底して実証的である。進化を進歩と混同したり、倫理のお説教をしたり、存在から当為を引き出したりしない。人文社会系のヒトビトこそ読んで楽しめる一冊である。

読売新聞
2023年4月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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