[本の森 歴史・時代]『本売る日々』青山文平
[レビュアー] 田口幹人(書店人)
一九九〇年代中盤をピークに、紙の出版物の売上は減り続けている。それは、約三千社ある出版社や、約一万店ある書店にも、影響を及ぼしている。市町村内に一軒も書店のない「書店空白地」は、全市町村の実に二十五%以上にまで増えた。
本屋業界に籍を置き今年で三十年目となるが、本とは何か、読書とは何かを考えさせられる日々が続いている。
一方で、これまでとは違うアプローチで、本と読者、本と地域を繋ぐ新しい本屋の動きが様々広がっている。まさに本の持つ可能性を再確認している。
そんな中出会った、『本売る日々』(青山文平/文藝春秋)は、仏書・漢籍・歌学書・儒学書・国学書・医書などの物之本を扱う松月堂の主人・松月平助を主人公とした物語である。
その時代人気のあった草双紙や読本は扱わず、物之本のみを扱うことにこだわり、城下に店を構えている平助。
月に一度本を担ぎ二十余りの村々にある寺や手習所や藩校からのまとまった発注と、各地にいるお得意さんである名主を回る行商での商いで生計を支えていた。
不思議なことに、現在の本屋の収益構造とさほど変わっていないのが興味深い。
本書は、平助が行商先で出会った不思議な謎を、本屋という立場で本を介して解き明かしてゆく連作集である。
「本売る日々」では得意先の名主・惣兵衛と孫ほど年の離れた遊女上がりの後添えの謎を、「鬼に喰われた女」では、元藩士に裏切られた娘と八百比丘尼伝説の謎を、「初めての開板」では、不思議な町医者が名医と噂される理由を平助は、探るのだった。
しかし、不思議なことに本来は主人公であるはずの平助の影が薄いのだ。
それぞれの物語には、絵画教本『芥子園画伝』や国学・国史の叢書『群書類従』、そして医者が口伝で残した臨床例をまとめた「口訣集」などの学術書が登場する。
本書ではその本を探すことが目的なのではなく、それぞれの本と謎が交わるとき、当時の生活の礎に本があり、いかに本が暮らしを支えていたのかが鮮明に浮かび上がってくるのが最大の読みどころだろう。
そういう意味で、本書の主人公は、平助ではなく「本」なのだと言えるかもしれない。
作中では、本についての著者の考え方が随所にちりばめられている。「本は出会いだ。蔵書は出会いの喜びの記憶でもある」という文章には痺れた。
ちりばめられた本についての言葉に触れ、本とは何か、読書とは何かという問いに対する答えに近づけた気がする。