窮極の保田與重郎論 前田英樹『保田與重郎の文学』

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保田與重郎の文学

『保田與重郎の文学』

著者
前田, 英樹, 1951-
出版社
新潮社
ISBN
9784103515524
価格
14,300円(税込)

書籍情報:openBD

窮極の保田與重郎論

[レビュアー] 片山杜秀(評論家・思想史家)

片山杜秀・評「窮極の保田與重郎論」

 保田與重郎論は難しい。たいていは失敗していると思う。そうなるのには大きな理由があろう。保田は自ら日本浪曼派と名乗った。イロニーという言葉も使った。だから当然、保田はドイツ・ロマン派に影響されてイロニーを駆使するロマンティックな文学者であり思想家なのだろうと、大抵の書き手は誘導されてしまう。かの有名な橋川文三の『日本浪曼派批判序説』も結局はそうだろう。橋川は戦時期に接した保田の同時代の文業を「私たちの失われた根底に対する熱烈な郷愁をかきたてた」と評した。失われたものへの郷愁! 異界への憧れ! ロマン派の本質でもあろう。時間的には昔、空間的には遠方。決して自らが手にし得ぬものを理想化して崇拝し、昔や遠方から力を得て自我の空想を肥大させ、そこから反転して、没理想的な今あるここの現実に、イロニーの集中砲火を浴びせる。それがロマン派の戦略というもので、日本浪曼派も同様であると考える。

 が、そのようなヨーロッパのロマン派にひきつけての日本浪曼派理解では、保田の膨大な著作はうまく読み解けまい。嵌らぬ文章が多すぎる。ではどうする? 本書にはコペルニクス的転回がある。保田の文学世界に失われたものなどありはしないし、失われていないものに対して郷愁を抱こうはずもない。本書の言わんとするところと思う。

 そもそも日本浪曼派という名乗りが一種のイロニーなのかもしれない。保田論のためには、西洋近代文芸批評流にロマン派にこだわるよりも、大切な足場があるだろう。それは何か。素直に保田を読めば、誰の目にも明らかである。国学だ。本居宣長だ。伴信友だ。鈴木重胤だ。鹿持雅澄だ。国学の思考はロマン主義やイロニーでは測れない。したがってその種の西洋の言葉で保田を分析しても隔靴掻痒だ。本書は国学の道にしたがって保田を虚心坦懐に読む企てである。

 はて、国学の道とは何か。そこにはロマン派のイロニーのような捻りはない。たとえば本居宣長が天照大神をどう考えたか。天照大神が天岩戸の内に隠れると高天原が真っ暗になったと神話は伝える。隠れて暗くなるのだから、天照大神とは太陽そのものズバリに決まっている。太陽の化身とか象徴とか擬人化とは考えない。森鴎外の『かのやうに』のような象徴的論理操作やあらゆる喩の作用を認めない。間髪いれぬのだ。そのものズバリだ。

 そのような国学的思考を少年期から身に沁ませた保田の思想も、そのものズバリに、ありのままに読めばよい。本書を貫く著者の構えであろう。太平洋戦争期、戦局が困難になるにつれ、保田は「神州不滅」を言い募り、狂信的戦争イデオローグの代表人物と同時代的に思われた。保田を思想家としてそれなりに救済しようとする者は、必敗と滅亡の段階に至ったからこそ「神州不滅」と言い出すのが絶望状況を批判するための保田独特のイロニーなのだと解そうとしてきただろう。ところが本書はたとえばこの「神州不滅」を字義通りに取る。保田の若き日から晩年までの著述に接すれば、保田の思うこの国の存在理由とは「米作りをして共に生きること」に尽きると分かるだろう。著者は言う。米を作り食べることには「植物的循環によって、動物がその生を養い、全うさせる暮らしの神髄があるからだ。連作のきかない麦と違い、米には年々の確実な収穫があり、働き手の数を上回る食糧が供給される。たとえば、五分づきの玄米として食べ、少しの野菜、豆類を加えれば、その栄養価はほぼ完全になる。人はこれによって、闘争、簒奪、殺戮の運命から解き放たれる」。こうして永続する世界が神州日本であり、敗戦しようが何だろうが、稲作が保たれていれば神州として継続されうる。それはリアルな日本であって、決してロマンティックではない。その神州のリアルが文明開化的リアルにどこまで抗しうるか。保田の関心事とはついにはそれだけであろう。そして、神州のリアルに棹さす性根を神話から近代までのこの国の文学史に確認し続けることが、保田の文業に他ならなかった。著者の保田論の要諦であろう。

 本書は八〇〇頁になんなんとする大著だが、その内容は米作りの国としての神州を言挙げする作業の無限反復と呼べる。著者の保田への同化には恐るべき迫力があり、その理由は、保田と著者が稲作に適した大和の国という空間を原郷として共有していること、それから、ありのままを素直に無心に感じ取る国学の道の極意を著者が武道を嗜む者として感得できているということの二点にあると思う。ついに著された保田論の決定版である。

新潮社 波
2023年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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