『カタストロフか生か』
- 著者
- ジャン=ピエール・デュピュイ [著]/渡名喜 庸哲 [監修、編集]
- 出版社
- 明石書店
- ジャンル
- 哲学・宗教・心理学/哲学
- ISBN
- 9784750354972
- 発売日
- 2023/01/17
- 価格
- 2,970円(税込)
書籍情報:openBD
『カタストロフか生か コロナ懐疑主義批判 (原題)La Catastrophe ou la vie』ジャン=ピエール・デュピュイ著(明石書店)
[レビュアー] 郷原佳以(仏文学者・東京大教授)
コロナ過小評価に反論
2020年春、ヨーロッパでコロナ禍によるロックダウンが始まると、知識人たちが次々に持論を展開し、注目を集めた。「破局」論で知られるフランスの哲学者デュピュイは一部の学者たちの杜撰(ずさん)な論理に唖然(あぜん)とする。彼らはウイルスの危険性を過小評価し、政府によるロックダウン政策を、人々の生を管理する「生権力」の専制的行使として糾弾した。本書はそれらを「コロナ懐疑主義」として忌憚(きたん)なく批判する。2020年5月から12月までの「思索日記」という体裁だ。
「コロナ懐疑主義」と呼ばれる論調にはいくつかの特徴がある。ひとつは著者が「Y2K問題の詭弁(きべん)」と呼ぶものだ。2000年への移行に伴いあらゆる電子機器が停止するという脅威は情報科学者たちの決死の努力で回避された。にもかかわらず、予防措置が成功したゆえに「起こらなかった事件」は記憶に残らない。同様に、コロナ懐疑主義者たちは、マスクや外出制限等によって実効再生産数が抑えられ感染拡大が回避されたことを考慮せず、結果の数値をもってウイルスの危険性を矮小(わいしょう)化する。著者はイヴァン・イリイチの予防医学論の継承を説く。
もうひとつはトリアージをめぐってだ。医療機器が不足して治療すべき患者を制限しなければならない時、フランスでも米国でも取られる方針は「救われた人生の年数を最大化する」ことである。つまり、老人よりも若者の命を救うことが優先される。コロナ懐疑主義者の一部は、この功利主義的倫理を支持する。人命の価値を比較する学者の言葉は俄(にわか)には信じがたい。
もっとも根深いのは国の保険医療措置を「生政治」とする批判である。イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンを筆頭とする知識人は、ヒューマニズムやネオ・ハイデガー主義などの立場から、「剥(む)き出しの生」すなわち生物学的な生を社会が神聖化していると批判する。著者は生物学的な生と本質的な生の二分の妥当性を問い、最後の瞬間まで死と切り離されているその生を救うことの意味を示す。コロナ禍を思想的に反省するための書。渡(と)名(な)喜(き)庸(よう)哲(てつ)監訳。