『本売る日々』
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『本売る日々』青山文平著(文芸春秋)
[レビュアー] 橋本五郎(読売新聞特別編集委員)
江戸の村に心の豊かさ
読み終わってひとつの箴言(しんげん)が浮かんだ。「野に遺賢あり」。松月平助(しょうげつへいすけ)は村々を廻(まわ)り漢籍や仏書、歌学書などの学術書を届ける本の行商を生業にしている。『古事記伝』や『政談』『群書類従(ぐんしょるいじゅう)』なども導きにしながら、物語は思わぬ展開を見せる。本を愛する名主たちの姿には江戸時代の村の豊かさがある。本が日々の生活に融(と)け合って生きているのである。
杉瀬村の名主藤助(とうすけ)は侍と百姓の板挟みに悩む毎日を送っている。しかし、国学を知って霞(かすみ)が晴れたようになる。古代を讃(たた)える国学のなによりの効用は「これが唯一の現実」ではないことを実感させてくれることにある。幕府だけでなく朝廷があったのだと気づかされた。「さかしら」を排し、嘘(うそ)偽りのない「まこと」の心を失わずに「すなほ」に生きるようにすればいいのだと国学は教えてくれた。
小曽根(こぞね)村の名主惣兵衛(そうべえ)は、わが村が日本で一番豊かな村だと思う。佐野淇一(きいつ)という村医者がいるからだ。荻生徂徠も『政談』で書いている。大きな町の医者は渡世に追われ、やたらと診療の数をこなす。それも富める者だけを選ぶと。しかし田舎の医者は患者を選べない。薬礼を取れないのは当たり前。仁術にならざるをえない。だから自然に医者としての背筋が定まるのだ。
日本一は村高(むらだか)が多いということではない。村人たちが医の不安なく暮らせるからだ。「淇一先生がまちがうんなら、それはもう仕方ないって。それで命を落とすとしたら、それはもう寿命なんだって。そういう風にね、信頼し切ることができるというのは、この御代(みよ)にあってはすごく贅沢(ぜいたく)で、豊かなことでしょう」
信じることの大切さもこの本のキーワード。もはや江戸時代のことと思えなくなる。著者の描く村の豊かさとは、今の日本で失われた「心の豊かさ」ではないのか。人間が人間らしく生きるとは何かという、根源的な問いを私たちに突きつけているように思われるのである。