百合総合文芸誌の創刊、作家26人のアンソロジーなど 文芸評論家がウォッチするエンタメ小説9作品

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  • 大江戸奇巌城
  • 彼女はひとり闇の中
  • 楊花の歌
  • 百合小説コレクション wiz
  • 黒猫を飼い始めた

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ニューエンタメ書評

[レビュアー] 末國善己(文芸評論家)

 文芸評論家の末國善己がセレクトしたエンタメ小説を紹介。例年を超える面白さがつまった9作品とは?

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『大鞠家殺人事件』で第七五回日本推理作家協会賞の長編および連作短編集部門と、第二二回本格ミステリ大賞の小説部門をW受賞した芦辺拓の『大江戸奇巌城』(早川書房)は、江戸後期を舞台にした伝奇小説である。

 暗号解読、人間消失、暗闇の中で矢を的中させた方法などの謎解きを通して出会った五人の少女は、やがて実在した佐藤信淵の思想を基にした巨大な陰謀に挑むことになる。冒険活劇の中に、黒幕を追って六角形の建築物・夢殿の屋根裏に潜入するも、中に誰もいないといったミステリの要素を織り込んだところは、角田喜久雄の伝奇小説を思わせるテイストがある。

 敵の計画「宇内混同秘策」は、近代日本が進めて失敗するも、いまだに信奉者がいて社会の分断の一因にもなっている。差別と偏見に苦しむ少女たちが、男たちの権力欲、征服欲に立ち向かう物語は、『大鞠家殺人事件』と同じく、現代日本の問題点をあぶり出していた。

 天祢涼『彼女はひとり闇の中』(光文社)は、生活安全課の仲田のシリーズではないが、現代の若者が直面している諸問題に切り込む社会派ミステリとなっている。

 慶秀大学に通う千弦は、同じ大学に通う幼馴染みの玲奈が刺殺されたことを知る。玲奈から「相談がある」というLINEを受け取るも未読だった千弦は、事件を調べるため玲奈の友人や指導教授から話を聞き、風俗で働くことを考えるほど困窮していたり、将来が不安定になるため就職活動の失敗を恐れたりしている他の学生の現実を目にする。恵まれた環境にいる千弦を探偵役にすることで、当事者意識を持つことの難しさを活写したところも鮮やかだった。

 早い段階で犯人が明かされる本書は変則的な倒叙ものだが、随所に犯人の視点が挿入されるので、ミステリ好きなら幾つかのトリックが浮かぶだろう。ただ著者は読者の予想を覆す超絶技法を駆使しており、終盤には衝撃を受けるはずだ。驚愕のどんでん返しは、さらなる社会問題を浮き彫りにする。それは誰もが当事者になり得るが、誤解と偏見が解決を阻んでいるというもので、この問題にどう取り組むべきかを問うラストは重い。

 第三五回小説すばる新人賞を受賞した青波杏『楊花の歌』(集英社)は、スパイ小説の中にジェンダーやポストコロニアルなどのテーマを見事に織り込んでいる。

 東京の裕福な家庭に生まれたが、実家が傾き松島遊廓で働き始め、上海を経て廈門に流れついたリリーは、ヤンファを名乗る女性と組んで、岸なる日本人を暗殺する計画にかかわる。やがて二人は恋仲になるが、リリーは暗殺に失敗したらヤンファを殺す命令を受けていた。日本、親日の汪兆銘政権、国民党、共産党が入り乱れて暗闘をしていた時代だけに、リリーの友人が敵組織に属していたなど、何気ない日常と諜報の最前線がシームレスに繋がり、それがサスペンスを盛り上げていた。

 スパイ戦とリリーたちの過去をカットバックしながら進む構成は、娼婦だった過去を蔑まれる者が、日本の植民地出身の女性たちを蔑むなど、複雑に入り組む差別と搾取の構造を明らかにしていく。こうした問題は現代とも無縁ではないどころか、ますます深刻化しており、どのように向き合うべきかを考えさせられる。

『零合 百合総合文芸誌』(零合舎)が創刊されるなど百合文芸が注目されている。アンソロジー『百合小説コレクション wiz』(河出文庫)もその一冊である。

 小学四年でクラス委員長の松浦が、問題行動ばかりのユアの出産に立ち会う冒頭から引き込まれる小野繙「あの日、私たちはバスに乗った」は、母親からの抑圧、同性を好きになる戸惑いなどを意表をつくエピソードで描きながら、爽やかな青春小説に着地させていた。夫がいるのに伊万里という女性とも関係を持っている「わたし」が語り手の櫛木理宇「パンと蜜月」は、徐々に判明する三人の関係性が“家”のあり方に一石を投じていた。中でも出色なのは、同性婚の実現や性的マイノリティの権利獲得の運動に熱心な恵恋と、東大卒の塾講師で生徒に民主主義を教えているのに選挙に行ったことがない那由他の同棲生活を描く斜線堂有紀「選挙に絶対行きたくない家のソファーで食べて寝て映画観たい」で、政治的な問題で喧嘩をする恵恋と那由他は、マイノリティだけに強いられる負担がある現実を的確に切り取って見せていた。

 二六人の作家が参加した『黒猫を飼い始めた』(講談社)は、同じ「黒猫を飼い始めた。」という書き出しから始まる短編(というよりもショートショートか)のアンソロジーである。関係が冷えきった妻を殺したために黒猫を飼うはめになる潮谷験「妻の黒猫」は、倒叙ミステリ。地下アイドルが飼い猫と一緒に出る生配信の準備を進める結城真一郎「イメチェン」、「黒猫を飼い始めた。」という書き出しの小説を依頼された作家を主人公にした柾木政宗「メイにまっしぐら」は、黒猫の使い方にひねりがある。冒頭の一文をダイイングメッセージにした周木律「黒猫の暗号」、黒猫をめぐる三人の証言から犯人を絞り込む犬飼ねこそぎ「スフィンクスの謎かけ」、完全犯罪が崩れる理由が面白い青崎有吾「飽くまで」は、短編らしく謎解きの切れ味が鋭い。黒猫がメインの物語から変化球の使い方までバラエティ豊かな作品が収録されており、書き出しが同じだからこそ、各作家の個性や技巧が際立って感じられるのではないか。

 香納諒一『川崎警察 下流域』(徳間書店)は、一九七〇年代の神奈川県川崎市を舞台にした警察小説である。

 多摩川河口のヘドロの中から、男性の溺死体が発見された。被害者は、京浜工業地帯の造成によって侵害される漁業権の補償交渉を担当した元漁師で、自宅以外の鍵を所有していた。川崎署は、次男と暮らしていた被害者の周辺や、かつて補償金の交渉をした元漁師らから話を聞くが、なぜか県警の捜査二課が捜査に介入してくる。

 当時の川崎市は、国と一体化した企業が漁師を分断して漁業権交渉を有利に進めたため補償金に差が出て、その後も新たな仕事で成功した者もいれば失敗した者もいて格差が広がり、急増した労働者を目当てにした飲み屋や風俗店が増え、こうした店や沖仲仕を仕切る暴力団が事務所を構え、日本人への反感を抱く在日コリアンのコミュニティがあるなど渾沌としていた。元漁師が殺された事件は、格差と拝金主義が広がり、分断が進んだ高度経済成長期の負の側面を浮かび上がらせていくが、これらは現代日本の社会問題の原点になっていることを忘れてはならない。

 インターネットの闇に切り込んだ真下みこと『舞璃花の鬼ごっこ』(TO文庫)は、著者のデビュー作『#柚莉愛とかくれんぼ』に近い題材を扱っている。

 好きな本を紹介する動画配信を行っている舞璃花は、ある女子大学生の就職活動を失敗させる復讐計画に、熱心なファン四人を誘った。それぞれにトラブルを抱えていた四人は疑似的な家族を作り、ターゲットの情報を集めるストーカー(四人の隠語では「鬼ごっこ」)、女子大学生が立ち上げたとする偽サイトの作成、そこに書き込む文章の執筆などを分担して進めていく。

 計画が実行されると、あっという間に女子大学生はネットのフェイク情報によって転落するが、誰が本当の製作者かたどれない匿名サイトが簡単に作れ、個人を陥れるフェイク情報が簡単に発信できる状況には恐怖を感じる。周到に張り巡らされた伏線が回収される終盤になると、舞璃花の意外な正体と、復讐を始めた動機が明らかになる。誰もが加害者にも、被害者にもなり得る状況が、恐るべき復讐計画に結び付く展開も恐ろしかった。

 中国の宋代を舞台にした特殊設定ミステリ『老虎残夢』で第六七回江戸川乱歩賞を受賞した桃野雑派の受賞後第一作『星くずの殺人』(講談社)は、近未来の宇宙ホテルをクローズド・サークルにした特殊設定ものだ。

 日本の民間宇宙旅行会社が格安宇宙旅行をスタートさせ、計六人が第一回の宇宙旅行に向かった。機長の伊東の操縦で、一行は無事に宇宙ホテル『星くず』に到着するが、その直後、伊東が首吊り状態の死体で見つかる。伊東の死は、自殺か、他殺か、事故か。他殺なら、犯人はどのようにして無重力下で首を吊ったのか。添乗員の土師が事件を追うが、続いてガスを使った殺人未遂や火事も発生、どちらも宇宙空間では危険なのでホテルは万全の安全対策をしていた。

 犯人当ても、殺害方法のトリックも秀逸だが、何といっても圧巻なのは壮大な動機である。犯人は正義ゆえに犯罪を実行するが、その正義は微妙に歪んでいる。だが歪んだ正義はネット上に横溢していて、それによって引き起こされる事件も少なくない。非日常でスケールの大きい事件を、身近な問題として再構築したのも巧かった。

 下村敦史『ガウディの遺言』(PHP研究所)は、ガウディが設計し、現在も建設が続くサグラダ・ファミリアの尖塔に死体が吊るされるという魅惑的な謎から始まる。

 死体を発見したのは、父がサグラダ・ファミリアで石工をしている佐々木志穂で、被害者は模型職人のアンヘルだった。以前、父を訪ねたアンヘルから、サグラダ・ファミリアには負の歴史があると聞かされた志穂は、バルセロナとサグラダ・ファミリアの歴史を調べていく。

 バルセロナがあるカタルーニャ州は、中央政府によってカタルーニャ語ではなくカスティーリャ語(いわゆるスペイン語)の使用が強制され、伝統的な音楽や祭礼も禁止された。またサグラダ・ファミリアはスペイン内戦で建築資料の多くが失われ、建築期間が長いのは寄付と観光収入で費用を賄っているからである。こうした歴史が、アンヘル殺しの犯人や死体を尖塔に吊るした理由、ガウディの秘密などを浮かび上がらせていくので、ミステリが好きでも、世界史が好きでも楽しめる。

角川春樹事務所 ランティエ
2023年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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