『福沢諭吉 最後の蘭学者』大久保健晴著(講談社現代新書)
[レビュアー] 苅部直(政治学者・東京大教授)
福沢諭吉は高校の歴史教科書では、明治初期に西洋文化を受容しようとした「文明開化」の風潮を代表する思想家として登場する。ところがその福沢が、一八九〇年にこう書き記していることに本書は注意をうながす。日本では百数十年前、十八世紀の後半に「既に西洋文明の胚胎するものあり」。日本の文明化は、蘭学者たちの手によって徳川時代から始まっていたのである。
大久保健晴によるこの新しい評伝は、「最後の蘭学者」としての側面に光をあてている。福沢は徳川末期の開国ののち、英語による学問を新たに始めることになった。その転換に注目することが、これまでの福沢研究の定番であった。
しかし、若いころから学んでいた蘭学の素養は、福沢の思想の基礎として生き続けた。先の言葉に見えるように晩年に至るまで、杉田玄白・緒方洪庵らの功績を忘れることがなかったのである。真実を探究する「窮理」と「実学」の尊重、個人の独立と一国の独立との重なりあいといった、その思想の要所を蘭学が支えていたことを明らかにする、画期的な一冊。