子供時代のインフルエンザの思い出が太陽光圧の話に…JAXA研究員が綴るワンルームの日々と宇宙

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身の回りの世界が宇宙へ繋がる瞬間。JAXA研究員の科学エッセイ

[レビュアー] 稲泉連(ノンフィクションライター)

 本書の著者である久保勇貴さんは、「宇宙機制御工学」を専門とするJAXAの研究員だ。

 宇宙機制御工学とは、人工衛星や探査機の動きをコンピュータでシミュレーションし、いかに上手に制御するかを研究するというもの。〈僕の研究は多くの場合パソコン一つで完結してしまう〉と書く著者のこの科学エッセイには、身の回りの小さな世界が無限の宇宙へと広げられていくような、そんな瞬間が詰まっていた。

 読んでいて惹きつけられたのは、心に残る記憶の断片や光景を、広大な宇宙と科学の話題に優しく結び付ける著者の佇まいだった。インフルエンザにかかったときの子供時代の思い出が、いつの間にか〈1円玉の重さの約2000分の1の大きさの力〉に当たる太陽光圧の話に変わる。あるいは、相対性理論をめぐる思索が、身近な世界を温かく見つめる繊細な眼差しへと変わっていく、というように。

 ふとした時に見上げた空、少年時代のほろ苦い思い出、大学時代に好きだった散歩の時間、仲直りできなかった友達……。

 手元にあった風景や記憶は、ときに宇宙服の仕組みに、ときに太陽系を離れたボイジャー1号の孤独に、そして、「カオス」な人生のままならなさにつながり、それらがユーモアたっぷりに紡がれる様子に心惹かれるのだ。

〈何も言わなくても世界の方から全てを察してもらうのには、やっぱり限界があった。大人になるということは、それがいよいよ許されなくなるということでもあった。だから、僕にはもっと多様なことを語る必要があった。そのために、エッセイが必要だった〉

 文章の一つひとつに込められた「書くこと」への喜び。ワンルームの日常と科学を同時に語る工夫に富んだ筆致に、何とも言えず不思議な魅力を感じる一冊だった。

新潮社 週刊新潮
2023年6月1日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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