『関東大水害 忘れられた1910年の大災害』土田宏成/吉田律人/西村健編著(日本経済評論社)

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『関東大水害 忘れられた1910年の大災害』土田宏成/吉田律人/西村健編著(日本経済評論社)

[レビュアー] 金子拓(歴史学者・東京大教授)

救護や復旧活動を考察

 1910年(明治43年)8月6日、重度の胃潰瘍に悩む夏目漱石は、転地療養のため伊豆修善寺に入った。その夜「強雨の声」を聞いている。それからも大雨は毎日のように降り続き、鉄道の不通や土砂災害の噂(うわさ)を耳にする。漱石が大吐血して人事不省に陥った、いわゆる「修善寺の大患」は24日のことである。

 伊豆に土砂災害をもたらした大雨は、実は関東地方でさらに甚大な水害をひき起こしていた。これが「関東大水害」である。梅雨前線による雨が8月初め頃から降り続き、そこに二つの台風が襲ったことにより、東海・関東・東北地方に大規模な水害と土砂災害をもたらした。

 本書はこの「関東大水害」について、近代の災害史や政治史などを専門とする研究者、地元の博物館学芸員らが様々な立場から論文を寄せた論文集である。自治体や軍隊の救護活動や鉄道などの復旧活動、水害に見舞われた地域住民の動向、個人やメディアによる被災情報の伝達や報道、被害者数の記録や救援に対する顕彰のような水害に関わる記憶の継承、災害外交や災害研究のあり方など、多種多様な研究が収められている。今年は関東大震災100年という節目の年にあたるが、だからこそ、影に隠れたかたちになっている関東大水害のありようを、研究を通じて伝える意義は大きい。

 歴史学は今を知るため、将来を知るためにあると主張される。話題のチャットGPTは、答えの背後に厖大(ぼうだい)なデータがあるという。何か問題が起きたとき有効な答えを見出(みいだ)すため、過去の情報を蓄積するのが、歴史学の役割のひとつであろう。本書もその一端を担っていることは間違いないが、細部に注目して読めば、災害救助に奔走した自治体職員や軍人たち、わが地域を守るため、隣村との諍(いさか)いもいとわなかった住民たち、報道することで被害者を救おうとしたジャーナリスト、そうした一人ひとりの人間の行動を知ることができるのである。

読売新聞
2023年5月26日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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