戦後、航空機の製造・研究・運航を禁じられた時代に活躍した日本人パイロットなど 文芸評論家・末國善己がセレクトしたエンタメ作品
レビュー
書籍情報:openBD
ニューエンタメ書評
[レビュアー] 末國善己(文芸評論家)
文芸評論家・末國善己がセレクトして紹介するエンタメ作品。台風クラスの傑作の数々とは?
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先の大戦下のビルマ(現ミャンマー)を舞台にした古処誠二『敵前の森で』(双葉社)は、戦闘シーンの少ない戦争小説を書いてきた著者には珍しく、日英が対峙する最前線が描かれ、戦闘が重要な役割を果たしている。
戦後、捕虜の処刑と民間人虐待の戦犯容疑をかけられた北原信助は、イギリスの語学将校から訊問を受ける。
戦時中、失敗が濃厚なインパール作戦の敗軍を後方に移送していた見習士官の北原は、撤退の時間を稼ぐため前線で指揮を執る。英印軍との戦闘では瀕死のインド兵に懇願されとどめを刺し、優れた聴力と視力を持つビルマ人の少年モンテーウィンが逃亡した。捕虜の殺害とモンテーウィンの扱いが、北原の戦犯容疑になった。
日本軍に協力的だったモンテーウィンが逃走した謎に加え、北原と語学将校の息詰まる心理戦も物語を牽引するだけに圧倒的なサスペンスがあり、戦時中の極限状態でしか起こり得なかった事件の真相も鮮やかだ。
現在も続く高い教育水準は日本人の誇りの一つとされるが、語学将校がその問題点を指摘するなど作中には秀逸な日本人論が少なくない。近現代のアジア史を射程に入れることで、アジア諸国を親日、反日に色分けする安易な歴史観や政治観に一石を投じているのも興味深い。
安東能明『ブラックバード』(祥伝社)は、戦後、航空機の製造、研究、運航を禁じられた日本で活躍した日本人パイロットを主人公にしている。
逓信省の飛行学校を卒業し軍の輸送任務を行っていた堀江は、戦後、その腕が米軍に認められ、新航法などの訓練を受けた後、スパイを運ぶ秘密任務に従事していた。航空アクションと並行して、航空行政をめぐる日米の綱引きも描かれ、GHQと渡り合ったとされる白洲次郎が、パンアメリカン航空の利権のために動いていたなど、知られざる戦後史が活写されていくのも面白い。
やがて朝鮮戦争が勃発。中国共産党の参戦で苦戦するアメリカは、核保有国のソ連が参戦する前に北朝鮮を半島から一掃するため原爆の配備を進める。長崎の原爆で家族を亡くした堀江は、原爆投下阻止のため動き出す。
当時は原爆の惨禍より兵器としての威力が重視され、投下命令も現場の指揮官に委ねられていた。そのためアメリカは戦況が不利になると原爆に頼ろうとするが、この状況は、核の恫喝を続けているロシアによるウクライナ侵攻でも起きているのではないか。その意味で本書のテーマは、間違いなく現代に繋がっているのである。
昨年、スペインの人権団体が、中国は海外で暮らす中国系市民を監視する秘密警察署を五〇か国以上に開設していると発表した。月村了衛『香港警察東京分室』(小学館)は、中国の非合法活動をコントロールしたい日本政府が、インターポールの仲介で、日本と香港から警察官五名ずつを出して警視庁内に特殊共助係を設置したとする警察小説で、最新のトピックを取り込んでいる。
特殊共助係の最初の任務は、非暴力の香港民主化運動の指導者だったが、422デモで多数の死者を出し、助手を殺して日本に逃亡したキャサリン・ユーの確保となった。ユーは在日中国人の犯罪組織サーダーンに匿われているらしいが、犯罪組織とユーの関係は不明。サーダーン系企業の倉庫にユーらしき女性がいると掴んだ特殊共助係は、強引な手法で倉庫に潜入するが、そこに香港の黒社会の流れを汲む黒指安が乱入し、激しい戦闘になる。
武闘派のサーダーン、黒指安を相手にする派手なアクションに加え、犯罪組織がユーの行方を追う謎、香港の自治を制限したい中国共産党の思惑などが複雑に絡み、まったく先が読めない波瀾万丈の展開が続く。
ユーの捜索は、市民たちが自由を守り民主主義を手に入れるため命懸けの活動をした事実を掘り起こしていく。それは日本人に、自由も民主主義も必死に守らなければ簡単に奪われる現実を突き付けているのである。
武内涼『厳島』(新潮社)は、毛利元就が陶晴賢の大軍を狭い厳島におびき寄せて動きを封じ奇襲した厳島合戦に焦点を絞った歴史小説で、ほぼ全編が名将の晴賢を騙す謀略戦とスペクタクルに満ちた合戦になっている。
謀略を仕掛ける元就の前に立ちはだかるのが、晴賢の側近・弘中隆兼である。目的のためなら手段を選ばない元就に対し、隆兼は戦になれば敵を騙すが超えてはならない一線があると考えている。信念の違いから敵対する元就と隆兼の動きを追いながら物語が進むだけに、読者は自分ならどちらの道を選ぶか考えてしまうはずだ。
元就が背後から襲われないようにするため同族を争わせて尼子を分断するなど非情な謀略を駆使すれば、隆兼は元就の手を読み、それを破る方策を考えるので緊迫の攻防が続く。だが晴賢の周囲には隆兼の策を否定する側近もいて、次第に元就の術中に嵌まっていく。組織が巨大なゆえに方向転換できない陶軍が追い込まれる展開には、現代と変わらない日本の病理を見る思いがした。
砂原浩太朗『藩邸差配役日日控』(文藝春秋)は、架空の藩・神宮寺藩の江戸藩邸を舞台にしている。
主人公の里村五郎兵衛は、藩邸の管理にかかわる仕事を一手に引き受けるため「何でも屋」と呼ばれる差配役の頭で、妻に先立たれ娘二人を男手一つで育てている。
花見に行った藩主の息子・亀千代が行方不明になるが、江戸家老の大久保重右衛門は「むりに見つけずともよいぞ」と口にする「拐し」は不可解な状況が魅力的。藩邸に調度品を納入する業者を選ぶ入札で不正が行われた疑惑が指摘され、業者に情報を流したのが誰かを調べる「黒い札」は、普遍的な汚職の構造を浮かび上がらせていた。新たに雇われた女中があまりに美しいため藩邸の男たちが鞘当てを始める「滝夜叉」は、男の愚かさとその犠牲になる女の悲劇が見事に活写されていた。藩主の正室が輿入れの時に連れてきて可愛がっていた猫を探す「猫不知」は、謎解きと人情の融合も見事である。
職場では、やる気が感じられないが思わぬ特技を隠している若手の安西主税ら癖のある部下を適材適所に配したり、藩邸内の派閥抗争に巻き込まれたりしながらも職責を果たし、家では年ごろの娘たちの言動に気をもむ五郎兵衛は、現代の中間管理職に近い。等身大の五郎兵衛に我が身を重ねる読者は、五郎兵衛が自身の問題と向き合う「秋江賦」が特に感慨深く思えるのではないか。
現代の事件を解決すると歴史の謎も明らかになる歴史ミステリの秀作を発表している高田崇史の『江ノ島奇譚』(講談社)は、著者初の時代ミステリである。
勝道は、二十年ほど育ててくれた寺を捨て、藤沢宿で働くお初の間夫になった。お初が目鼻口耳がない「ぬっぺっぽう」の悪夢を見るようになったと聞いた勝道は、それを払うため江島明神の弁財天詣でに誘う。勝道は寺を出た頃の記憶がなく、なぜか「ぬっぺっぽう」が恐ろしいため、それが失った記憶と関係があると考えていた。
本書で俎上に載せられるのは、建長寺の自休が、相承院の稚児・白菊に一目惚れし恋文を送るなどするが、その想いを重荷に感じた白菊が二首の辞世を残して江ノ島で投身自殺し、それを読んだ自休も同じ場所で身投げした稚児ヶ淵の伝説である。白菊の歌を読んだ勝道は、伝説の矛盾に気付き真相を推理していく。その過程で、お初がなぜ「ぬっぺっぽう」の悪夢を見たのか、なぜ勝道は記憶を失ったのかも明らかになるので、ミステリ好きも、歴史好きも満足できる構成になっている。
稚児ヶ淵のほかにも、江ノ島の名所旧跡の縁起や歴史的背景が圧倒的な情報量で語られているので、本書を持って観光名所の江ノ島へ出掛けてみるのも一興である。
井原忠政『殿様行列 人撃ち稼業(二)』(ハルキ文庫)は、妻子を人質に取られた丹沢の凄腕鉄砲猟師の玄蔵が、江戸で悪人の狙撃を命じられる〈人撃ち稼業〉の第二弾。
今回の目標は、馬で登城する旗本。江戸中心部での狙撃になるため、玄蔵は発射音が小さい気砲を選ぶが威力が弱いという弱点があった。しかも指示役の多羅尾は、死因を隠すため耳の穴を撃てという無理難題をふっかけてくる。一方、南町奉行所同心の本多圭吾が、卓越した推理力で玄蔵に肉薄するだけに、迫真の追走劇はフレデリック・フォーサイスの名作『ジャッカルの日』のような興奮があった。
自分が殺す旗本がどんな悪事をしたのか、旗本を殺すことが世直しになるのか分からないまま、熊を撃つ時と同じく淡々と準備を進める玄蔵は、常に悪とは何か、正義とは何かを考えている。単純な勧善懲悪の図式を作らず、玄蔵を迷えるヒーローにしたのは、人物や物事を簡単に善悪に色分けし、正義に反すると思えば徹底的に断罪する現代の風潮への批判に思えた。
昨年から、高性能で一般向けの画像生成AI、対話型AIが相次いで発表され、全世界に衝撃を与えた。日本SF作家クラブ編のアンソロジー『AIとSF』(ハヤカワ文庫JA)は、まさにタイムリーな一冊といえる。
AIが生成したアイドルの写真集の商業出版が、販売中止になった。高野史緒「秘密」は、この状況を予見していたかのような一篇。平安時代の仏師が、画像を生成する「妖」の奇怪な力(奇怪学習)を借りて仏像をデザインする「智慧練糸」は、言葉を使って理想の仏像を作るプロセスをイラストを使って表現した鬼才・野崎まどらしい作品。二〇二五年の大阪万博のパビリオン大阪の展示物が生成AIの飛躍的な進歩で時代遅れになり、スタッフと研究者が対応に追われる長谷敏司「準備がいつまで経っても終わらない件」は、実際に起こりそうで笑えないコメディだった。
収録の二十二作には、AIがもたらす多彩な未来が描かれていて、良きにつけ、悪しきにつけ、人類はAIと向き合っていかなければならないことが実感できる。