コロナ禍を小説として書くということ。執筆を通してあの日々の記憶を辿る。

対談・鼎談

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続きと始まり

『続きと始まり』

著者
柴崎 友香 [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784087718560
発売日
2023/12/05
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

コロナ禍を小説として書くということ。執筆を通してあの日々の記憶を辿る。

斎藤 柴崎さんとお会いするのは初めてですが、ずっと作品は読んでいました。パク・ソルメさんの短篇集『もう死んでいる十二人の女たちと』が出た時は、書評を書いてくださいましたよね。すごくありがたかったです。
柴崎 私も斎藤さんが翻訳された小説は読んでいました。パクさんの短篇集はすごく好きで、新刊『未来散歩練習』も読みましたが、過去と現在と未来を今この場所から重ね合わせて見るところが、自分と近い感覚の人なんじゃないかなと感じます。
斎藤 『未来散歩練習』はコロナ禍の時に書かれていたものなので、柴崎さんの『続きと始まり』と地続きな感じがしますね。
『続きと始まり』は二〇二〇年の三月から二〇二二年の二月の間の、三人の人物の日常が交替で二か月おきに書かれていく。一か月おきだとそんなに変化がないから、二か月おきというのがいいですよね。あの時期にいろいろな人が思っただろう気持ちが瑞々しく描かれているなと思いました。
柴崎 ありがとうございます。この小説を書こうと思ったのは二〇二一年の前半で、コロナ禍の状況を書こうと思いました。その時はまだまだ渦中で、この先どうなるか分からない状態だったんですけれど。
コロナ禍の最初の頃って、小説やドラマにその設定をどのくらい入れるかどうか、みなさん悩んだと思うんです。私も当時、他の作家さんとそういう話をしたことがありました。ただ、私は身近な生活から書いていくことが多いので、避けては通れない部分がありました。一年以上経っても世界中が困難な状況に直面したままで、それをない設定で書くのは自分の小説では難しい、だったらもう、正面から、この時間自体を書こうと思ったんです。
でも最初は、連載が終わる頃にはもっと落ち着いているだろうと思っていたんですよね。そもそもコロナ禍元年の二〇二〇年の最初くらいには、この夏が終わればある程度終息しているだろう、みたいな感覚もありましたよね。
斎藤 そうなんですよ。その後も、年末にはみんなワクチンを打って飲みに行けるとか言っていましたよね。ワクチンを受けられるのがあんなに遅くなるなんて思っていなくて。
私は三年日記を書いているんですが、『続きと始まり』を読みながら、作中と同じ時期の日記を見返したんですよ。やっぱり自分も登場人物と同じようなことを書いていました。二〇二〇年の五月の小坂圭太郎さんの章で、緊急事態宣言が前倒しで解除されますよね。私もその頃、友達とメールで、「いつの間にか終わっているって感覚が不思議だね」と話し合っていたりしていたんです。そういうことと重ね合わせながら読むと、本当に不思議な時期があったんだなと、しみじみと感じるというか。
柴崎 斎藤さんとくぼたのぞみさんの往復書簡集『曇る眼鏡を拭きながら』の中で、斎藤さんは日記からメモまでいろいろな記録をつけていると書いてましたよね。私は全然日記をつけていないんですが、あれを読んで、私もちゃんと書いておけばよかったなと思いました。
今回の小説を書く時も、手帳とか、スマホで撮った写真とか、友達とのメールとか、新聞やニュースのアーカイブを見て思い出していきましたが、自分の実感としての記憶がすごく曖昧になっていて。
斎藤 分かります。二〇二〇年はやっぱりコロナ元年だから憶えているんです。二〇二二年は去年だから、なんとなく憶えている。でも二〇二一年になると、結構大変だったはずなんですけれど記憶が圧縮されて干物みたいになっていて。
柴崎 干物(笑)。
斎藤 『続きと始まり』を読んで、干物に水がかけられて元に戻った感覚になりました(笑)。一人暮らしで一年間、ほとんど出かけず、人に会わずにいると記憶って混乱するものなんだなと思いましたね。
柴崎 やっぱり人に会って話したりすると記憶ってある程度整理されますね。自分たちの生活は、節目っていうほど意識していない節目があるから、時間的に整理されていたんだなと思いました。
書き始める前に、出版された日記や特集企画なども読んでいつなにがあったか確認していたんですが、コロナ禍の最初の何か月かの日記は結構あるんですけれど、その後がほとんどなくて。それこそ干物みたいになっている二〇二一年くらいのことが知りたいんだけどな、と思っていました。
斎藤 自分の三年日記も、二〇二〇年は出来事と心情の両方がいろいろ書いてあるんです。二〇二一年になると、心情があまり書いていなくて、時々気を取り直してコロナについての気持ちを書いておこうとしているのがありありと分かるんですよ(笑)。コロナとちょっと距離ができている感じが読み取れて。
柴崎 制限がある状態に慣れてそれがデフォルト的になると、そこの部分をわざわざ記録しておかなくなる気がします。それよりも自分の生活だったり、仕事だったりが前に出てくるのかな、って。
斎藤 そうですね。
柴崎 今もまだ、コロナに関することが終わったわけではまったくないんですけれど。
斎藤 でも、かなり気分は変わりましたよね。
柴崎 いろんなところに移動したり人に会ったりはできるようになりましたよね。そうしたら急激に二〇二三年の始めくらいまでのことが忘れられていくというか。二〇二〇年から二二年の三年間は、それこそ一年分くらいに記憶が圧縮されていますよね。
斎藤 圧迫骨折ってあるじゃないですか。転倒も転落もしてないのに、骨がいつの間にかすかすかになって折れるっていう。あの三年間は、圧迫骨折したような、不思議な時期だったと思います。私たち、これから死ぬまで、あの時期は変だったねって言い続けるんでしょうね。作家のお仕事というのは、そういう形で流れていってしまうものに一本杭を打ってくれる。すごく貴重なことです。
柴崎 連載は二〇二二年の始めから二〇二三年の始めまでだったんですよね。小説内の現在進行形からはちょっとずれていますけれど、まだまだ先が分からなくて、本が出る時の世の中の状態によって読まれ方も違ってくるだろうから、どうなるのかなと思っていました。でも、今の時期に単行本になってよかった気がします。その時期の感覚を自分自身も急激に忘れていっているので、書いたことに意味があったかなと。
斎藤 意味、ありますよ。
柴崎 小説ってすぐには書けないし、時間がかかるものだと思うんです。今はインターネットがあるから、強い言葉がぱっと広がって、でも、その分すぐ忘れられてしまう時もある。即時的な言葉に助けられることももちろんあるんですけれど……。でも、すごく時間がかかることによって書けることがあるし、伝えられることもあるんじゃないかとは思います。
斎藤 そう思います。読んでいる間、自分が今までに行った場所や経験した時間がせりあがってくる思いが何度かありました。三人それぞれの心情が語られていきますが、ものすごく自分と近しい感じがしました。
柴崎 これまでも三人や複数の視点というのは何回か書いてきたんですが、ここ何年か、今の世界の複雑さを書くには、一人のストレートな視点だけで書くのは難しい、かといって客観的な視点があるわけではなくて、一人から見た不完全な世界を重ねていくしかないんじゃないかと考えていて、それでこれも三人の視点にしました。
斎藤 一人一人の置かれている状況とか、経歴とか、家族関係とか、すごく丁寧に作りこまれていますよね。みんな、本当にいそうな人たちでした。
柴崎 今まで人から聞いた話などが熟成して形になっていく感じですね。
斎藤 私は前から、柴崎さんの小説の、ちょっと内省的な人がいろいろ考えている描写がむちゃくちゃ好きなんですけれども、その感じが、今回のこの三人にも強くありました。
柴崎 登場人物たちって、書いているうちにどんどん“存在していく”というか。どういう人生を生きてきて、今こういう生活をしている、というのは書く前にかなり詳細に考えるんですけれど、それでもやっぱり、その人がどういうふうに感じて考えるかは、書いていく中で分かってくるところがあります。
斎藤 私、ファン・ジョンウンという作家が好きなんですけれど、ファンさんが以前言っていたのが、自分はその人物たちのことを知っているから書くんじゃなくて、彼らのことが気になるので書く、って。
柴崎 すごく分かります。私も、自分でこういう人だと決めて書いているわけではなくて、書いているうちにだんだんその人のことが分かってくるんです。分かってきた時に「おおっ」となります。自分の最初の想定を超えてくれるような瞬間があると「あ、この小説はちゃんと成り立っているな」と思えます。今回、だいたい二年間くらいの間の話なので、登場人物たちそれぞれの仕事や家族の状況にこんな変化がある、くらいは考えていたんですけれど、その時々で彼らがどう思うかは、書き始めた時には分かっていませんでした。
斎藤 視点人物は、滋賀県で夫と二人の子供と暮らしている優子さん、妻と一緒に幼い子供を育てていて、コロナの影響で休業中の圭太郎さん、フリーの写真家のれいさん。状況も仕事も年齢も違う三人ですね。
柴崎 コロナ禍のなかで個人個人の仕事や働き方、生活が大きく影響を受けたのでそこを書こうと思いました。もちろん、登場人物たちとはまったく違う状況だった人も多いだろうし、書いているのは全体ではなくて、一部分だけなんだとは常に意識しなければなりませんが。コロナ禍ではリモートワークできる人と、出勤しないといけない人でも全然違いましたよね。家族構成とか、家に個室があるのかなどでも大きな差があって。
斎藤 状況の違う人のことがなかなかお互い理解できないような時期でしたよね。格差と言っていいと思うんです。こういうときに本当に格差が表に出るんだな、と。戦争の時もそうなるんだろうなと思いました。
柴崎 やっぱり何かあった時に、どこか違うところに避難できる人と、そこを動けない人もいるし。
斎藤 コロナによって、改めて自分がどうしてここにいて、この仕事をして、この人と一緒に暮らすようになったかというのを、確認した人も多かったと思いますね。
柴崎 そうだと思います。
斎藤 私、圭太郎さん一家は、読んでいてすごく楽な感じがしたんですね。彼らは子供を育てるためのユニットみたいな感じで一緒に暮らし始めたわけですよね。二人の間に圧があまりないところがいいなと思いました。
柴崎 今の社会って、恋愛と結婚と子育てがあまりにもセットになりすぎていますよね。愛し合って、結婚して、家族みんな仲良くというイメージが前提になりすぎているので、そこに当てはまらない家族や関係性も現実には多く存在するのに、と。それで、予想外に“家族”となった彼らを書こうと。
斎藤 いいですよね。そんな彼らの会話もとてもよかったんですよ。圭太郎さんは中学生の頃、父親が韓国人だという同級生、中村さんについて無神経なことをしてしまった。今でも彼はそれを気にしていて、それを妻の貴美子さんに話しますよね。その時に貴美子さんが「言ってしまったことは、消せないよね」って言う。あそこがすごくよくて。圭太郎さんは慰めるようなこと言ってくれるのを期待していたけれど、貴美子さんは言わなかった。それで彼は、やっぱりあれは駄目な行為だったって思うわけじゃないですか。ああいう過程がひとつひとつ、すごく、「今」だなと思いました。いろんな出来事、いろんな葛藤を通過してきた「今」だから、こういう会話が活字で読めるようになったなと思ったんです。圭太郎さんがやったこと、あれはアウティングってことですよね。
柴崎 そうですね。
斎藤 アウティングという言葉が使われるようになって、そういうことはいけないと認識されるようになったのは最近ですが、そういう言葉がなくても、そもそもやっちゃいけないことですよね。
柴崎 言葉が使われるようになって私も明確に意識できるようになりました。その内容がどんなふうに思われているかなどに関係なく、自分ではない人のことを、その人の了承を得ずに勝手に他の人に言ったりするのはやってはいけない。
斎藤 小説の中では、中村さんが本当はどう思っていたのかは書いていない。そのことにも、すごく安心しました。
柴崎 分かるようにはしたくなかったんですよ。もし貴美子に「それはしょうがなかったよ」とか「私は気持ちが分かるよ」みたいに言われて圭太郎が慰められたとしても、中村さん本人がどう思っていたのかは結局分からないし、それはどうすることもできないですよね。本人を探し出して謝ったらいいかというと、相手は今さらそんなことをしてほしくないかもしれないし、謝られた側はなにか反応を返さないといけなくなるなど負担をかけることもあるということも含めて、特に時間が経ってしまったことって、自分が何をしたのかということ自体をまず受け止めるしかないんじゃないかと思っていて。その行為の主体は自分だという責任というか。
斎藤 柴崎さんの小説の強さって、そういうところにありますよね。物語って、何かしらが分かって決着がつく形になりがちだけれど、柴崎さんは分からないままにする。駄目だったということを、空き地のままで置いておくというのは、すごく強いと思います。そういうところが好きです。
柴崎 分かったつもりにならないようにしよう、というのは自分の中にすごくあります。結局のところ、そんなに都合よく何か分かったり見つかったりなんてしないですよね。しないからこそ、自分自身で受け止めるしかない。
特に相手があることに対して、勝手なストーリーにまとめたくないというのがあります。「それも意味があった」みたいに納得できるものを用意すると、そこでまとまって終わってしまう気がします。でもそこはやっぱり、終わらせられないというか。自分自身の中にも、終わらない、わからないからこそ考え続けるみたいなところがあります。
斎藤 後半になって、圭太郎さんをはじめ私の好きな内省的な人たちが、それぞれにとってのポイントを見つけるところまで行きますね。優子さんはちゃんと社長に自分が思っていることを伝えるし、圭太郎さんは妻の貴美子さんとの出会いについて自分がどう思っているのかに気づいたりして。そういう三人の様子にすごく安心しました。
柴崎 そこも、書いているうちにそういうふうになってきました。
斎藤 私、連載の最終回を読んだ時に、思わずXに感想を書いたんですよね。れいさんの、〈なんとなく世の中は少しずつよくなっていくのだと思っていた。〉という言葉を引用して。あの言葉は、本当に私もそう思っていたんですよね。
コロナになる前、在日韓国人の知人とお酒を飲んでいて、ベルリンの壁崩壊のころの話になった時に「もうちょっと世界はよくなると思っていたよね」と言ったら、相手に「本当にそうだよね」って言われたことを思い出しました。私たちの世代から見ると、七〇年代は在日韓国人への差別は本当にひどかった。八〇年代に本名宣言というのが始まって、韓国人の子供たちが本名で学校に通うことを始めているんですけれど。
柴崎 私が高校一年生の時に、三年生の人が本名で通うと宣言をして、テレビのドキュメンタリー番組に取材されていました。八九年でした。高校に入学したばかりの私にとって印象深い出来事で、その時は、これからは差別はなくなっていく、状況は変わっていくんだと感じていました。
斎藤 私もそう思ったんです。でも、そうではなかったですね。
柴崎 あの時のXの斎藤さんのコメントを読んでから、自分でももう少し考えてみたんです。それこそ八九年にはベルリンの壁が崩壊して冷戦が終結に向かい、九三年にはオスロ合意でPLOのアラファト議長とイスラエルの首相が握手する姿が大々的に報道されて……。
斎藤 九〇年には南アでもネルソン・マンデラが釈放されましたしね。そうやって、世界のいろいろな争いが、一応静かになると思いましたよね。
柴崎 そうですよね。九〇年代はこれから差別や争いみたいなことは終わって世の中はよくなっていく、みたいな雰囲気がありましたよね。今になってみれば、私にはわかっていなかった、見えていなかったこともたくさんあるわけですが。そしてその「よくなっていく」「よくなってきた」という状態までに、どれだけ苦しい思いをしてきた人たちがいたか、戦ってきた人たちがいたかをよく分かっていなかったと実感するようになりました。ブラック・ライヴズ・マター運動が起きた時に関連する本を読んだり映画を見たりしたなかで、公民権運動の行進に参加していた人たちがセルマで警官隊にひどい暴力を受けた血の日曜日事件を描いた『グローリー 明日への行進』という映画も見たんです。行進、マーチという言葉から全然想像がつかないくらい激しい暴力とそれに対する抵抗が描かれていて。
もちろんアメリカで黒人が差別されてきた歴史は知っていましたが、運動していた人の家族が殺されたり行進しているだけでこれほどの暴力を受けたことははっきり認識していなかった。中学校の英語の教科書に載っていたキング牧師の「I have a dream」という演説の、あのドリームという言葉に対する現実を自分は明確には理解していなかったと愕然としました。九〇年代、なんとなく世の中はよくなっていくんだと思っていたし、「昔よりよくなってきた」と言ってしまったりするけど、勝手によくなってきたのではなく、よくしてきた人がいるんだということを、やっと、はっきりと実感として分かってきました。そこは単行本にする時に書き足しました。

文芸ステーション
2024年1月6日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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