『小さくも重要ないくつもの場面』
- 著者
- シルヴィー・ジェルマン [著]/岩坂 悦子 [訳]
- 出版社
- 白水社
- ジャンル
- 文学/外国文学小説
- ISBN
- 9784560090923
- 発売日
- 2024/05/02
- 価格
- 3,080円(税込)
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今この瞬間をどう捉えるか――。悲劇にも喜劇にもなる人生の物語
[レビュアー] 伊藤氏貴(明治大学文学部准教授、文芸評論家)
コップに半分入った水を見て、「まだ半分ある」と思えば楽観的で、「もう半分しかない」と思えば悲観的という性格判断があるが、つまりこのとき人は、その瞬間の水だけではなく、前後の時間をも見ているのだ。
人生もまた、コップの水と同様に少しずつ減っていくものだが、どこに重きを置くかによって、悲劇にも喜劇にもなる。人生の物語を編むには、無数にある過去の場面から、自分の物語にふさわしいものを選択しなければならない。今この瞬間をどう捉えるかも、過去の選択と、将来の見通しの兼ね合いから決定される。
だから、本書の主人公がまだ少女の頃から「自分はいったい誰なのか」という疑問に囚われるのもやむをえない。産みの母親は物心つく前に出奔し、何の記憶もない。母に愛されるという、よくある幸せな「物語」の始まりを持つことができないのだ。
そこに、父の再婚によって、新しい母ばかりか三人の姉と一人の兄が増える。姉兄たちも皆、出生に関してそれぞれ謎や秘密を抱え、彼らと暮らす主人公の「物語」は一層錯雑としたものになる。人生という「物語」は他者の「物語」と絡み合いながら編まれていくものだからだ。
姉兄たちもそれぞれに迷いつつ苦しみつつ自分の人生を歩んでいくが、主人公だけはなかなか自分の「物語」をつかむことができない。自分の出生にももっと劇的な秘密があってほしいと願う。これは、自分が拾われた子で、本当の親は他にいるに違いないと思いこむ子供の幻想に等しい。
出生に過大な意味を負わせる人生は、決して豊かなものにはならないだろう。この主人公がようやく真の主人公になりえたのは、周囲の人の死を通じて、自分の残りの「物語」を見据えようとしてからだった。
家族のエピソードが断片的にたくさん盛り込まれているが、その「小さくも重要ないくつもの場面」は、主人公の「物語」を紡ぎ出すためにこそ「重要」なものだったのだ。