大河ドラマで話題!藤原氏から古代名族まで、正史に残された平安貴族のリアル

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平安貴族列伝

『平安貴族列伝』

著者
倉本 一宏 [著]
出版社
JBpress
ジャンル
歴史・地理/日本歴史
ISBN
9784847074462
発売日
2024/05/21
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

人材が豊かだった平安時代、唐に渡り現地で子供を授かった官人の数奇な運命

[レビュアー] 乃至政彦(歴史家)

日本の正史である六国史に載せられた個人の伝記「薨卒伝(こうそつでん)」。藤原氏などの有名貴族からあまり知られていない人物まで、興味深い人物に関する薨卒伝を取り上げ、平安京に生きた面白い人々を紹介する倉本一宏氏の連載『平安貴族列伝』が書籍になり、好評発売中です。今回は、書籍『謙信越山』、『戦国大変』のほか、平将門に関する新書も発刊する乃至政彦氏に、本書の魅力を語っていただきました。

人材豊かな平安時代

 平安時代の有名人といえば、誰を思い浮かべるだろうか。武人では、剛勇無双な伝説の残されている平将門や源為朝を連想する人は多いはずだ。

 ほか文人なら安倍晴明、菅原道真が「そういえば平安時代だった」と思われるかもしれない。

 文化人では鴨長明(かものちょうめい)、それと今年の大河ドラマで主役を務める紫式部をあげられよう。

 歴史物では(大河ドラマ直球のが平安時代を扱っている今年を除いて)書籍の売れ行きやテレビ番組の視聴率を高めやすいのは戦国と幕末と第二次世界大戦で、平安時代は人気のあるほうではないという。

 なぜかというと、今述べたレベルの超有名人がいるにはいるのだが、次点に並ぶ人物が少ないからであるだろう。

 平安時代というと、なんとなく『源氏物語』の絵巻物ビジュアルから、優雅な貴族が色鮮やかな空間を穏やかに過ごしていたように印象されている。だが、これら衣装や建築物に見られる美しさだけでなく、生々しい人間の言葉と生き様に目を向けてみると、別の時代に劣らないほど、面白い人々の群像が見えてくる。

 これはテーマを貴族に絞っても可能であるということを、倉本一宏氏の『平安貴族列伝』は実証してくれている。

数奇な運命をたどった平安のいち貴族

 同書は、『日本後紀(にほんこうき)』と『続日本後紀(しょくにほんこうき)』の薨卒伝(こうそつでん)に見える「桓武天皇の延暦(えんりゃく)十三年(七九四)の平安京遷都以降」の人物を扱っている。

 史料を限定することで人選が限られてくるのだが、かえって現代日本人に親しみの薄い人々に焦点が当たって、新鮮な気持ちにさせられる。

 たとえば、「羽栗翼」という貴族の名前を聞いたことのある人がどれだけあるか不明だが、こんなマイナーな人物の生涯にもドラマと時代性の発見がある。

 この人の名前はその字の通り「はぐり・つばさ」と読む。令和の小説や映画に登場するような現代的な名前だが、面白いことに翼の弟も「翔」と書いて「かける」と読むらしく、こちらもまたライトな名前に見えてしまう。

 だが、翼・翔兄弟の命名には、この時代ならではの悲劇的な背景があったという。

 この人物について少しだけ触れてみよう。

羽栗吉麻呂と翼と翔

 今から1308年前の霊亀2年(716)、翼の父・羽栗吉麻呂(よしまろ)は、当時の中国・唐の国に、留学生の従者として送られた。

 そこで留学生(阿倍仲麻呂[あべのなかまろ])は、唐の科挙に合格して、高官に出世した。科挙は3年に1度しか行なわれず、合格率も1割未満だったというのに、外国人がこれに合格して高官に昇れるのは大変なことである。

 ここから当時の中国政府が依怙贔屓を廃して、充分な公正性を重視していたことと、日本人貴族の猿真似ではない確かな教養を学習しようとしていた様子が見えてくる。

 それはいいとして、中国で高級官吏の道に進んだ留学生は、その後、何度か帰国を望んだが、まだこの頃の航海技術は今ほど安全ではなかったため、ことごとく失敗し、ついに半世紀以上、日本に帰ることができずにいた。そして宝亀(ほうき)元年(770)そのまま中国で客死することになった。

 さて、くだんの留学生が帰国しないで現地で出世コースを進もうとする中、従者である羽栗吉麻呂は、現地で中国人の女性と結婚し、養老3年(719)に初めての息子を授かることになった。

 これが翼である。ついで次男の翔を授かった。

日本への帰国を果たした幸運な3人

 もう察せられることと思うが、吉麻呂も現地で高級官吏になってしまった留学生以上に、帰国を切望していたことであろう。

 これについて著者の倉本一宏氏は、歴史学者・青木和夫氏のお話として、吉麻呂は息子「翼」「翔」の名付けに「望郷の想い」を込めたのではないかという推測を紹介している。

 それから時は少し過ぎ、天平6年(734)、吉麻呂は遣唐使と合流することが叶った。このとき、16歳の翼と翔を連れて、日本に帰国した。3船以上あった船のうち、1船だけが帰国に成功した。天運に恵まれていたといえよう。

 吉麻呂も、息子たちに翼と翔の名乗りを与えて、天の加護を授けられたと頬を緩ませたことだろう。もしも間違って「兎」や「鹿」などと名付けていたら、虎になった李徴(りちょう)の空腹を満たす運命が待っていたかもしれない。

 もっとも翔はその後、遣唐使に従って、再び生地である唐の土を踏むことになる。そしてそのまま唐の国で亡くなった。かれの人生もまた想像力を刺激する。

 翔だけでなく、吉麻呂、翼の物語が気になる方は、ぜひ『平安貴族列伝』を手に取ってみよう。

 ほかにも平安時代ならではと思わせる人間ドラマが全部で37人分、紹介されている。

JBpress
2024年5月31日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

JBpress

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