ミステリから合戦モノまで 忍者、剣客、武将、百人一首など歴史の奥深さに思いを馳せる小説8冊を文芸評論家が紹介

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  • 歌人探偵定家
  • 海を破る者
  • 火の神の砦
  • 天に挑む 大谷刑部伝
  • 最後の甲賀忍者

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ニューエンタメ書評

[レビュアー] 末國善己(文芸評論家)

文芸評論家・末國善己が、先人たちの生き様に想いを馳せる、歴史時代ものを中心とした8冊を紹介。

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 羽生飛鳥『歌人探偵定家 百人一首推理抄』(東京創元社)は、歌人の藤原定家と、羽生の『蝶として死す』、続編『揺籃の都』で探偵役を務めた平頼盛の子・保盛が奇怪な事件に挑む連作短編集である。

 紫式部の和歌が書かれた札を付けられた女の生首が松の枝に吊るされ、現場に手足はあるも胴体が消えていた第一話は、死体をバラバラにした理由に独創性がある。出家前の西行が高貴な女と逢瀬を楽しんでいた時、女の息子が訪ねてきたので鍵のかかる塗籠(納戸)に女を隠すが消えてしまう第二話は密室もので、西行の回想を聞くだけで謎を解く安楽椅子探偵ものである。河原で胸に高札を突き刺された女の死体が見つかり、高札には盗賊の犯行声明となぜか在原業平の「ちはやぶる」の歌が書かれていた第三話は、平家が没落し源氏の世になった社会の激変を謎解きにからめていた。

 定家が各事件にかかわる和歌を解釈したり、和歌論を語ったりするのも読みどころで、後に定家が編纂する『小倉百人一首』の創作秘話になっているのも興味深かった。一話完結に見せて最終話で各話が意外な形で繋がる連作集は珍しくないが、本書の仕掛けには捻りがある。

 二〇二四年は、元寇(一度目の文永の役)から七五〇年目。今村翔吾『海を破る者』(文藝春秋)は、二度目の弘安の役に向けて進む物語だ。

 名門だった伊予河野家だが、承久の乱で京方について敗れ領地を大幅に削られ、その後も家中の争いが続き、文永の役では朽ちた船しかないのが幕府に露見し瀬戸内海の警備を命じられるほどだった。家督を継いだ六郎が河野家を再建するため、漁業と商業に力を入れて新しい船の建造を目指したり、人買いから引き取った高麗人の繁、遥か西方から来た金髪碧眼の女・令那(二人とも漢字は六郎による当て字)との仲を深めながらモンゴルの動向を聞いたりするなど、経済小説、海洋冒険小説、国際謀略小説などのジャンルがミックスされている。

 承久の乱と内紛で没落したが故に、人はなぜ争うのか思索をめぐらす六郎は、家臣、領民に好奇の目を向けられていた令那が受け入れられていく過程を見て、相手を知らないことが恐怖を生み、それが巨大な帝国を築きながら元が侵略をやめない理由と考える。異なる宗教や文化を持つ人への差別と偏見が今も紛争を引き起こしていることを思えば、六郎の分析には普遍性がある。また繁、令那を理解しようと言葉を重ねる六郎の姿は、相互理解こそが争いを回避する道だと気付かせてくれる。

 剣術の流派陰流の祖・愛洲久忠(号・移香斎)の若き日を描く犬飼六岐『火の神の砦』(文藝春秋)は、宮崎駿監督の『もののけ姫』が好きな方には特にお勧めだ。

 久忠は、奥出雲の六斎市で鉄製品を扱う女が売っていた太刀が、滅びたはずの備中青江鍛冶の新作に思え魅了された。女によると、太刀は村の鍛冶が打ったという。久忠は、同じ太刀に興味を持った若侍の又四郎と女をつけ、女だけが暮らす山奥の隠れ里にたどり着く。なぜ里には女しかいないのか、里と青江鍛冶の関係は、など謎が謎を呼ぶ展開の中に、久忠が里長に夜盗の討伐を頼まれる剣豪小説、砂鉄を集め、たたらで製鉄し、刀を打つまでを追った技術小説、又四郎の意外な正体が明かされる終盤のどんでん返しなどの要素があり、最後まで緊迫感が途切れない。女性たちが生き生きと暮らしていた隠れ里が、高い技術力を巨大な権力、資本に狙われる展開は、現代の日本に近く、せつなさを感じる。

 佐々木功『天に挑む 大谷刑部伝』(角川春樹事務所)は、豊臣秀吉が「百万の軍勢を率いさせてみたい」と評し、石田三成の盟友として西軍で関ケ原の合戦に臨んだ大谷吉継(位階の刑部少輔から通称は刑部)の生涯を描いている。当時は不治だった病に罹り体の自由を奪われていく刑部が、運命から逃げず強く生きようとする姿には、心揺さぶられるのではないか。

 秀吉の遺児・秀頼を支える五大老、五奉行体制が始まると、三成は徳川家康の排除に動く。これに対し刑部は、天下を統べるには力が必要なので当面は実力者の家康に政務を委ね、豊臣家は潰されないように立ち回りつつ、家臣が後継者の秀頼を育て政権を取り戻すという現実路線を考えていた。史実でも、家康に接近した刑部と反家康を崩さない三成の関係は悪くなったとされるが、最後には三成に従ったというのが定説になっている。ところが佐々木は、早い段階から刑部が計略をめぐらせていたとして歴史を読み替えており、今までにない関ケ原の合戦を目にすることになるだろう。「百万の軍勢を率いさせ」たいという秀吉の夢が、刑部の策が結実するクライマックスでリンクする構成も見事だった。

 土橋章宏『最後の甲賀忍者』(角川春樹事務所)は、戊辰戦争で甲賀忍者が戦った史実を踏まえている。忍者の歴史や、江戸時代の忍術書は誇張もあるなどの忍者論が描かれているのも面白い。

 江戸幕府が倒れ、甲賀忍者は今後の対応を協議していた。そこに若き忍者の山中了司が現れ、薩長に味方しようという。宮島作治郎は了司の案を否定する長老に、甲賀の将来を決めるのは、老人ではなく若者であるべきと声をかけるが、年配者の発言権が強いのは現代日本も同じなので、若い読者は共感も大きいのではないか。

 了司の提案は認められたが、長い太平で忍びの技は廃れていた。そこで了司ら有志は、技を伝承している杉谷善左衛門に弟子入り。忍びの特訓を受ける前半は、学園もののテイストがある。厳しい訓練を終えた了司ら五人は甲賀隊として薩長軍に編入されたが、待っていたのは銃を使った歩兵訓練だった。そこに長岡藩が購入したガトリング砲の場所を調べ、可能なら奪えという忍者の得意な任務が与えられた。秀逸なスパイ小説になる後半は、甲賀のライバルの伊賀忍者が怪しい動きをし、敵味方不明の人物が次々と現れるので、先の読めない展開が続く。

 銃の性能と数が勝敗を左右する時代に、裏をかく、虚を突く、生きて帰るなどの忍びの掟で善戦し未来を切り開いた了司たちは、AIの高性能化と普及でなくなる仕事が議論されている現代を生きる読者に、知恵と技術があればローテクでも戦えると教えてくれる。

『炎の放浪者』から一三年ぶりとなる神山裕右の新作『刃紋』(朝日新聞出版)は、長い空白を埋めるかのように二段組で三〇〇ページを超える大作である。物語は、日露戦争に出征しトラウマを抱えた私立探偵が、関東大震災から二年後、俘虜収容所で知り合ったドイツ人の依頼で娘の日本人の母を捜すうちに巨大な陰謀の存在を知るという、王道的なハードボイルドとなっている。

 物語の舞台は名古屋から東京、長崎の端島(軍艦島)へと移るが、いずれの場所も徹底した時代考証が施され、漢字に外来語のルビを振るレトロな文体ともあいまって、タイムスリップしたかのような気分が味わえる。やがて捜している女が、朝鮮半島出身の男と関東大震災直後の浅草にいた事実が判明。激化していた労働争議、朝鮮独立運動、ナチスの台頭によるユダヤ人排斥などの世相が、事件にからんでいることも分かってくる。探偵の調査によって、自分の卑小さから目を背けるため国家という大きな存在と一体化し、フェイクニュースを流してでも他民族を排斥する皮相な愛国者たちの存在が浮かび上がってくる。こうした愛国者は現在も少なくないので、その現実とどのように向き合うべきかを突き付けていた。

 蝉谷めぐ実『万両役者の扇』(新潮社)は、江戸森田座の名題役者・今村扇五郎とは何者かを、扇五郎に魅せられた六人の人物の視点で描いている。扇五郎贔屓の大店の娘が現代と変わらない推し活を繰り広げる第一話はユーモラスに進むが、いわゆるリアコの娘が評判記の評価が低い女房から扇五郎を奪おうとする展開になると状況が一変、芝居のためなら常識や倫理など歯牙にもかけない扇五郎の執念が浮かび上がるグロテスクな物語になる。森田座の客席で饅頭を売る男が、扇五郎の悪評を利用した新作を作るなど扇五郎の執念に飲み込まれていく第二話。上方から来て衣装を仕立てる名人に弟子入りしたものの仕事を任せてもらえなかった女が、師匠の許しを得て相中(中級)役者の衣装を作る第三話では殺人事件が発生。この事件を、木戸口の台の上で役者の声真似などをして集客する木戸芸者のコンビが追うが、首切り殺人が発生してしまう。本書は、目的のためなら手段を選ばない天才と凡人ゆえに懸命に働く人を対比しながら、芝居町でしか成立しない動機を作っており、読者は自分ならどの立場を選ぶか考えてしまうのではないか。

 歴史時代ものが続いたので、最後は現代ものの高野史緒『ビブリオフォリア・ラプソディ あるいは本と本の間の旅』(講談社)で締めたい。一部の名作を除き新刊を四年から六年で完全に消滅させる法律が全世界で施行された社会を描く「ハンノキのある島で」はディストピア小説で、現在の出版界の状況を知っていると生々しい。めった斬り評論家が、大学時代に書いて破棄したはずの小説が商業出版されていると気付き作者を捜す「木曜日のルリユール」、女子高生詩人としてデビューし脚光を浴びるが、その後に筆を折った主人公が再起するのかを軸にした「詩人になれますように」は、書く意味に迫っていた。個人的なベストで古書好きにお勧めしたいのが、二人の男が名作の並ぶ売場が無限にあるかのような古書店を彷徨う「本の泉 泉の本」で、架空の名作が紹介されるところはレム『完全な真空』を、広大な古書店はボルヘス「バベルの図書館」を想起させる。いずれの作品も、小説の重要性とは何か(例えば売り上げなのか、質なのか)を問い掛けており、本が好きな人ほど胸に迫るものがあるはずだ。

角川春樹事務所 ランティエ
2024年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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