『教養の鍛錬 日本の名著を読みなおす』
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石井洋二郎『教養の鍛錬 日本の名著を読みなおす』(集英社新書)を三宅香帆さんが読む 教養に「? 」をつける解説書
[レビュアー] 三宅香帆(文筆家・書評家)
教養に「?」をつける解説書
教養、という言葉に反発したくなってしまう人が存在するのは、教養という語彙が無意識に振りかざす「正しさ」のような気配を茶化したくなるからではないだろうか。と、私なんかは思ってしまう。実際、教養書と呼ばれる本を現代的な価値観で読むと「うーむ、この本の内容をすべて正しいと思っていいのだろうか」と苦笑してしまうこともある。しかし、本書はそんなふうに「教養」という言葉に対して懐疑的な人にもぜひ読んでほしい、新しい「教養」の解説書である。なぜなら本書のもっとも大きな特徴は、教養書と呼ばれる本に対して、常に作者が「本当か?」と疑問符をつけつつ、その疑問を含めて解説してくれているところにあるからだ。
阿部次郎、倉田百三、和辻哲郎、西田幾多郎、九鬼(くき)周造、吉野源三郎……。本書で解説される教養書は、もはや令和を生きる私たちにとってはひれ伏したくなるような名著たちである。著者はそれらの本を読みなおし、解説し、エッセイ風に読書の感想を語りながらも、常に「本当か?」とつっこみを入れることを忘れない。たとえば有名な九鬼周造の『「いき」の構造』。九鬼の説いた「いき」の具体例は(ぜひ本書を読んで確かめてほしいのだが)「それは九鬼の好みの問題では?」と言いたくなるようなものがあがっている。しかしそんな記述に対して、著者は「本当にこれが『いき』なのか? これは九鬼のただの好みでは?」ときちんと疑いつつ、なぜそれらが「いき」になり得るのか明晰に説明してくれる。だからこそ本書の読者は、著者とともに九鬼の提示する概念を理解できる。そして九鬼の言葉が普遍的な教養になり得るのか、その思考の軌跡を鮮やかに辿るのだ。
教養とは、名著や古典に対しても「本当か?」と挑む姿勢を忘れずにいられる、その筋力を指すのかもしれない。本書を読むとそう思う。教養とは鍛錬する力そのものである。そう理解させてくれる、現代では稀有な教養入門書となっている。
三宅香帆
みやけ・かほ●文芸評論家