『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』
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【書方箋 この本、効キマス】なぜ働いていると本が読めなくなるのか 三宅 香帆 著、集英社 刊
[レビュアー] 濱口桂一郎(JIL-PT労働政策研究所長)
読書がノイズ化した社会
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』というタイトルに、「読書史と労働史でその理由がわかる」というオビの文句を加えれば、これはもうドンピシャリ、『労働新聞』の書評コラムに取り上げないという選択肢はあり得まい。いや実は、著者の三宅香帆さんは一昨年、この書評コラムで毎月面白い本を紹介していた当人でもある。
その彼女が、リクルートに就職し、週5日間毎日9時半~20時過ぎまで会社にいる生活になって、「ちくしょう、労働のせいで本が読めない!」とショックを受けた。時間がないわけではないが、「本を開いても、目が自然と閉じてしまう。なんとなく手がスマホのSNSアプリを開いてしまう。夜はいつまでもYouTubeを眺めてしまう。あんなに本を読むことが好きだったのに」。結局、本をじっくり読むために、彼女は3年半後に会社を辞めたという。本書のタイトルは、その経験をそのまま言語化したものだ。
ここから彼女はその原因を探索する長い歴史の旅に出る。労働を煽る自己啓発書(スマイルズの『西国立志編』)が読まれた明治時代、労働が辛いサラリーマン(『痴人の愛』の河合讓治)が生まれた大正時代、サラリーマンが円本(改造社『現代日本文学全集』)を積読インテリアとして書斎に並べた昭和初期、サラリーマン小説(源氏鶏太)とハウツー本(カッパブックス)を買い求めた高度成長期、司馬遼太郎の文庫本をノスタルジーとして愛読した1970年代、「教養」より「コミュ力」が求められた(『BIG tomorrow』)1980年代、ノイズを除去する自己啓発書(『脳内革命』)が求められた1990年代、労働で自己実現を果たすことが称揚される(『13歳のハローワーク』)一方で、ノイズの除去された「情報」が求められた(『電車男』)2000年代、そしてさまざまな労働小説が勃興した2010年代。
長い歴史遍歴の果てに彼女が直面したのは、「ノイズ込みの知を得る」ための「読書」の対極にある、「ノイズを除去した情報」としての「ファスト教養」に溢れる社会であった。それゆえに、仕事にどっぷり浸かることが求められれば求められるほど、仕事のノイズになるような知識をあえて受け入れる「読書」という行為が難しくなったのだ。これを逆転させて、「働いていても本が読める社会」にしようではないか、というのが本書のメッセージだ。どうしたらそうできるだろうか。
彼女が訴えるのは、全身全霊のコミットメントをやめよう、頑張りすぎるのをやめよう、燃え尽き症候群はかっこよくなんかない、一言で言えば「半身(はんみ)で行こう」ということだ。仕事も家事も趣味も読書も、全身全霊じゃなくって、半身で良いのだ。全身で働けないから半身でも良いよ、というのではなく、みんなが半身で働ける社会をめざそう、それこそが「働きながら本が読める社会」「半身(はんみ)社会」なのだ、と。
さて、本紙の読者の皆さんは「読書」しているだろうか?「今週の労務書」で紹介される仕事関係の情報本だけじゃなくて、本欄に登場するノイズだらけの本を読んでいるだろうか。もしそうじゃないなら、まずは本書を手に取ってほしい。
(三宅 香帆 著、集英社 刊、税込1100円)
選者:JIL―PT労働政策研究所長 濱口 桂一郎