新聞記者を辞めて、メキシコに留学するほど引きずり込まれてしまった『百年の孤独』の魔術的魅力 池澤夏樹と星野智幸が語る【第1回】
対談・鼎談
『百年の孤独』
- 著者
- ガブリエル・ガルシア=マルケス [著]/鼓 直 [訳]
- 出版社
- 新潮社
- ジャンル
- 文学/外国文学小説
- ISBN
- 9784102052129
- 発売日
- 2024/06/26
- 価格
- 1,375円(税込)
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【池澤夏樹×星野智幸・対談】ガルシア=マルケス化する世界で
[文] 新潮社
刊行後、途切れることなく読書界を賑わせ続けているガルシア=マルケスの代表作『百年の孤独』だが、刊行以来50年間、読破者がうなされたように語り続けるのはなぜなのか。本作に衝撃を受け、新聞社を辞めてガルシア=マルケスが執筆の本拠地としたメキシコ留学に旅立ってしまったという星野智幸さんと、日本で翻訳される前に英語で本作を読み、以来「追っかけ」のような読者になったという池澤夏樹さんが語り合った。
(全6回の第1回、構成・長瀬海)
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池澤 『百年の孤独』は「長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思いだしたにちがいない」という語りから始まるけれども、僕も同じように長い歳月を逆にたどって、初めてこの本を手にしたときの話からしましょうか。
あれは1970年だったと思います。僕はよく丸善の洋書コーナーで英語の本を買ってたんですよ。宮原さんという親しい店員がいましてね。面白い本を探してぶらぶらしていたら、彼が「これ興味ないですか?」って一冊のバウンド・プルーフ(今の日本で言うゲラ本。発売前の宣伝用の仮装版)を持ってきてくれたんです。ジョナサン・ケープってイギリスの老舗の出版社がすごく売りたがってるって言ってね。売り物じゃないからよかったら持っていってと言われてもらったのが『百年の孤独』を手にした最初でした。まだ鼓さんの訳が出る2、3年前。よくわからないままもがくように読み進めるうちに夢中になって、これはすごいと思いました。ただ、すごいのはすごいんだけど、やっぱり登場人物の動きがよくわからない。それで、家系図や登場人物一覧表なんかを作ってみました。そのときの表は「『百年の孤独』読み解き支援キット」として、今は新潮社のホームページにも公式にアップされています。あれを一生懸命作ったおかげで、だいぶわかりました。それくらい熱を入れて読みましたし、それ以来、ガルシア=マルケスの作を次々に読んで、いわば追っかけみたいな読者になりました。
星野 僕も初めて読んだとき、系図を作りました。作らないとごちゃごちゃしちゃうんですよね。しかし「読み解き支援キット」は素晴らしい図表ですね。もっと早く欲しかったと思いました(笑)。
池澤 僕は長い小説を読むときはよく系図を作ります。楽しいんですよ、自分で作るのって。「読み解き支援キット」は何度か活字にして最後に新潮選書の『世界文学を読みほどく』に入れた。少しは読者の理解の助けになるんじゃないかなと思います。
星野 池澤さんがプルーフをもらったときにはガルシア=マルケスの名前はまだ日本で知られていなかったんですか?
池澤 もちろん。ジョナサン・ケープが英語圏で売り始めたばかりの時期でしたからね。彼の名前はスペイン語圏以外では誰も知らなかった。そこから英語圏でも英訳が続々と刊行されて。『族長の秋』なんかもずいぶん早い段階で手に入れました。
星野 池澤さんのように『百年の孤独』をガルシア=マルケスの名前を知らない状態で読み始めることの幸福は、きっともう誰も味わうことのできないものでしょうね。僕は読む前からノーベル文学賞を受賞した作家として知っていましたから。何気なく本を手に取って、引き込まれたのは割とすぐでしたか?
池澤 読み始めてしばらくは、いったいどういう話なのかと不思議に思っていました。引っ張り込まれたのは、メルキアデスが持ってくるものにマコンドの人たちが出会うあの辺りからだったかな。それまでの欧米圏の小説で作ってきた常識からどんどん外れていくんです。目を留める間もなく話が次に行っちゃうあの運動感。1つひとつのエピソードのヘンテコさ加減。それらを味わうように1ページずつ読み解いていく。読書の根源的な喜びを覚えました。それが今もずっと続いているわけですから、僕にとってガルシア=マルケスは最も大事な作家です。
星野 僕が『百年の孤独』を読んだきっかけは、安部公房でした。大学時代に安部公房にハマっていまして、安部公房の言うことは全部聞こうという時期があったんです。それで安部公房の勧める本を片っ端から読んでいるときに『百年の孤独』も手に取りました。80年代の半ばだったと思います。池澤さんが読書における根源的な喜びとおっしゃいましたけど、僕もガルシア=マルケスの文章を読むことがとにかく楽しくて心地よくて仕方なかったんですよね。今回改めて読み直したら、ただただ気持ちがいいから時系列とかどうでも良くなっちゃうんです。適当に開いたどのページでも必ず何かが起きている、その魔力というか。全編を貫いてそれがあるのがこの本の最大の魅力だと思います。
池澤 そう。1ページ単位で面白いんですよ。だから次は何が起きるんだろうって先を追わざるを得なくなる。
星野 キリがいいところで止めようと思うんだけど、キリのいいところなんてないんですよね。次へ次へと繋がるように書かれているから。夢中になってガルシア=マルケスを読んでいるうちに、今度はどうしてこんなふうに書けるんだろうと気になり始めました。それで新聞記者を辞めて、メキシコに留学に行くことにしました。この小説の原理はなんなのかを解明しようと思ったんです。『百年の孤独』と出会ったせいで、今に至る不思議な運命に引きずり込まれてしまったわけです。
池澤 星野さんはそこまで踏み込んでしまいましたか。
星野 はい。引きずり込まれることがどこか快感だったんです。僕は80年代に文学を勉強していたんですが、あの頃、欧米を中心として成立してきた近代文学はもう終わったと言われていました。ヌーヴォー・ロマンで袋小路に陥っていて、あとは焼き直しでしか文学は作れないと教わりました。そんなときにこの小説と出会い、僕は自分の文学観を大きく覆された気がしたんです。なんだよ、まだ終わってないじゃないかって。
池澤 そこからラテンアメリカ文学全体を捉える方に進んでいったわけですね。
星野 そうですね。この小説はなんだろうと思って調べると、ラテンアメリカ文学ブームと呼ばれるものがあったことを知ったんです。それなら網羅的に読めるだけ読んでみようという気になりました。
池澤 僕はガルシア=マルケスに続いてバルガス=リョサやカルペンティエールやプイグを読んだかな。でも、リョサも面白いし、力量があるけど、ガルシア=マルケスはまるで質感が違うんですよね。
星野 わかります。もちろんラテンアメリカ文学の他の小説家も1個1個すごい衝撃を与えてくれるんですが、何か解き明かせない感じがあるのはガルシア=マルケスだけでしたね。
池澤 リョサはまだ従来の小説に重なっている部分が多いんですよ。組み立て方が近いというか。『世界終末戦争』も『楽園への道』も一応、普通小説というものの体裁を成している。だから読者を小説に引き込む力みたいなものはプロットのなかに組み込まれていると言えると思う。それは別におかしなことではないし、誰しもそうするはずなんですよ。だけど、ガルシア=マルケスはそれをしない。1つひとつのエピソードと登場する人たちの人格、それから場所。それらの小さな繋ぎだけで最後まで持っていってしまう。あれは他の人にはできないことですね。
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第2回では、日本の常識が通用しないメキシコのめちゃくちゃな世界を体験して得た「ラテンアメリカ文学的世界」について語った対談をお伝えする。 (全6回の一覧はこちら)
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池澤夏樹
作家。1945年北海道生まれ。埼玉大学理工学部物理学科中退。東京、ギリシャ、沖縄、フランス、札幌を経て、2024年5月現在安曇野在住。主著『スティル・ライフ』『母なる自然のおっぱい』『マシアス・ギリの失脚』『楽しい終末』『静かな大地』『花を運ぶ妹』『砂浜に坐り込んだ船』『ワカタケル』など。「池澤夏樹個人編集 世界文学全集」「同 日本文学全集」を編纂。
星野智幸
作家。1965年ロサンゼルス生まれ。早大卒業後、新聞社勤務を経てメキシコに留学。1997年『最後の吐息』で文藝賞受賞。主著『目覚めよと人魚は歌う』『ファンタジスタ』『俺俺』『夜は終わらない』『焔』など。