「ビザはもらえないしバスの運転手は戻ってこない」日本の常識が通用しない文化で実感した“ラテンアメリカ文学的世界”のリアルとは? 池澤夏樹と星野智幸が語る【第2回】

対談・鼎談

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百年の孤独

『百年の孤独』

著者
ガブリエル・ガルシア=マルケス [著]/鼓 直 [訳]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784102052129
発売日
2024/06/26
価格
1,375円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【池澤夏樹×星野智幸・対談】ガルシア=マルケス化する世界で

[文] 新潮社


(左)1967年にアルゼンチンのスダメリカナ社から刊行された初刊本 (右)新潮文庫版 撮影:新潮社写真部

刊行後、途切れることなく読書界を賑わせ続けているガルシア=マルケスの代表作『百年の孤独』だが、刊行以来50年間、読破者がうなされたように語り続けるのはなぜなのか。本作に衝撃を受け、新聞社を辞めてガルシア=マルケスが執筆の本拠地としたメキシコ留学に旅立ってしまったという星野智幸さんと、日本で翻訳される前に英語で本作を読み、以来「追っかけ」のような読者になったという池澤夏樹さんが語り合った。
(全6回の第2回、構成・長瀬海)

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池澤 メキシコ暮らしはどうでしたか?

星野 『百年の孤独』ほどではありませんが、それに近い世界でした。めちゃくちゃなんですよね。僕は日本の感覚や日本の常識が通用しない世界で生活をしたいと思って留学をしたので、見事に叶えることができたんですが、それにしてもすごかった(笑)。シャワーを浴びていても石鹸をいざ流そうと思ったら急に水が出なくなる、といったことは日常茶飯事です。辛かったのはビザの申請です。語学学校に通っているとビザがもらえるというので申請をして内務省へ受け取りに行くんですが、なかなかもらえない。何度行っても、あともうちょっとでできるから来月また来なさいって言われるんです。同じことがずっと繰り返されて、マルケスの「大佐に手紙は来ない」はまさにこのことなんだなと思いました(笑)。
 一度、長距離バスに乗っていたら荒涼とした丘の中腹でエンジンが止まってしまったことがありました。なんだろうと思ってたら、バスの運転手が他のバスに乗ってどっかに行っちゃうんですよ。すると乗客たちが持っていた食べ物を持ち寄って、外で楽しそうに食事会みたいなことを始めたんです。こっちは何時に着くんだろうとか、このあとどうなるんだろうって戸惑っているんですが、みんなそんなこと気にしない。ああいう日常を標準の感覚として持っているんですよね。あぁ、ここで生活をしていればこういう世界がリアリズムの一部になるんだなと、身をもって感じました。大変なことはたくさんあるけど、気が楽だなと。池澤さんもいろんなところで生活されているから、そういう経験はきっとおありだろうと思います。


星野智幸さんと池澤夏樹さん(撮影:新潮社写真部)

池澤 大変だけどそっちの方が楽だなということはありますよね。バスといえば、あれはアフリカだったけど、バスに乗っていたら転覆したことがあります。みんな天上の位置になった窓から外へぴょんと降りて、どうしちゃったんだろうねっておしゃべりしながら次のバスを2時間くらい待ちました。残念ながら食事会はありませんでした(笑)。

星野 目的地に着けばいいという感覚なんでしょうね。ラテンの世界に行くと時間感覚がめちゃくちゃなんですが、そもそも時間通りにしなければならないという意識を共有していないから、別にめちゃくちゃでいいんです。1人でそれに対してやきもきしているとこっちが異常な人間になる。あっちではそのめちゃくちゃなのが標準なんだと思います。

池澤 それでもなのか、だからこそなのか、とにかくラテンアメリカの世界には魅力を感じますね。僕も暮らしたことはないけど、何度も足を運びました。4年くらい前には娘が住んでいたのでチリのサンティアゴに遊びに行きました。そのときは楽しかったんですが、僕が帰ってから2週間後くらいに暴動が起きてあの国は壊れてしまった。サンティアゴの地下鉄の駅がみんな焼かれた。どこかで社会に対する不満が溜まっていたんでしょう。デモ隊も毎日騒いでいたと言います。うちの娘は買い物をするために外に出ても、デモ隊が来るとちょっと脇道へ避けて、しばらくそこで待ったらしい。そういう話を直接聞いて、国って案外簡単に壊れるものなんだなと思いました。

星野 ラテンの人たちは楽しむときも怒るときもリミッターを外すんですよね。それをしないと生きている気持ちにならないというか。だから陽気なときはすごく楽しいんですが、怒ってるときは少し怖いというのはよくわかります。それとデモも日本に比べて格段に多いです。数年前にメキシコを訪れたときも僕の泊まっているホテルのそばでデモがありました。窓から見ていたんですが、デモ隊の長い行列がずらーっと続いて、最後尾に食べ物や飲み物を売る屋台の自転車の人たちがちゃっかり連なってるんですよ(笑)。人が集まるところならどこへでも自転車露天商は必ず現れて、小さな市場を形成するんです。あれは面白かった。
 あ、そうだ。30年前、「親の言いつけに背いたために蜘蛛にされた女」を見たことがありました。移動遊園地に見世物小屋があって、入ったら蜘蛛女がいたんです。ガルシア=マルケスの作品に出てくるやつだ、と興奮しました。

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第3回では、『百年の孤独』の作者ガルシア=マルケスの延々と終わらない語りのリズムを考察した対談をお届けする。全6回の一覧はこちら

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池澤夏樹
作家。1945年北海道生まれ。埼玉大学理工学部物理学科中退。東京、ギリシャ、沖縄、フランス、札幌を経て、2024年5月現在安曇野在住。主著『スティル・ライフ』『母なる自然のおっぱい』『マシアス・ギリの失脚』『楽しい終末』『静かな大地』『花を運ぶ妹』『砂浜に坐り込んだ船』『ワカタケル』など。「池澤夏樹個人編集 世界文学全集」「同 日本文学全集」を編纂。

星野智幸
作家。1965年ロサンゼルス生まれ。早大卒業後、新聞社勤務を経てメキシコに留学。1997年『最後の吐息』で文藝賞受賞。主著『目覚めよと人魚は歌う』『ファンタジスタ』『俺俺』『夜は終わらない』『焔』など。

新潮社 新潮
2024年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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