『狐花 葉不見冥府路行』
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江戸の幽霊騒動に挑む、憑き物落とし。歌舞伎舞台化の書き下ろし長篇ミステリ
[レビュアー] 杉江松恋(書評家)
因果を描き、妖しく仄暗く。
作家生活三十周年を迎えた京極夏彦の新作長篇『狐花 葉不見冥府路行』は、十九世紀中盤の江戸を舞台とした時代小説だ。外題が示すように、歌舞伎の原作として書かれた作品である。本年、東京・歌舞伎座の八月納涼歌舞伎で上演される。
中心にあるのは、ある奇妙な出来事だ。裾に曼珠沙華の柄をあしらった着物の美男子が現れる。作事奉行・上月監物の一人娘・雪乃は一目で男を見初めるが、彼の影に怯えるかのように屋敷の奥女中・お葉は気鬱の病に取り憑かれてしまう。やがてお葉は、遺言を託すべく二人の女性を枕頭に呼ぶのだった。
各章の題名には、「死人花」「墓花」「彼岸花」などと曼珠沙華の別名が振られている。その化身のような男・萩之介を巡る物語である。お葉は萩之介に関する秘密を二人の朋友と共有している。彼が出没することに神経を尖らせる上月監物もまた他者には口外できない隠し事を持っている。それらの過去が現在の悲劇を手繰り寄せることになるのである。
注目すべき登場人物は、憑き物落としのために呼ばれる武蔵晴明神社の宮守・中禪寺洲齋だ。この世には摩訶不思議なことなどあろう筈も御座いませぬと断言する彼こそ、〈百鬼夜行〉シリーズの主人公・中禅寺秋彦の曽祖父に当たる人物だ。なお、近作『了巷説百物語』に洲齋はもう一人の主役と言ってもいい重要な役回りで登場する。過去の京極作品で謎とされていた事実が、結末で明かされることになるだろう。
戯曲に近い特殊な叙述が採用されていることにも注目したい。登場人物の内面は、台詞で語られること、行動でわかること以外は一切書かれない。舞台上で起きていることを眺めるのに近い読み味なのだ。登場人物との間に距離があり、手の届かない場所で起きている悲劇というものは、もどかしく切ない。彼方ではらはらと、曼珠沙華の花散る。