「光る君へ」に一億点差し上げます
[文] 新潮社
紫式部を主人公に据え、一話たりとも見逃せない怒濤の展開と伏線の嵐で話題沸騰中の大河ドラマ「光る君へ」。
その行方を我がことのように見守る平安ラヴァーふたりがいる。
「源氏物語」に隠された、或る夜の出来事を描いた『のち更に咲く』の作者・澤田瞳子さんと、平安時代の文学作品を愛し、SNSでファンとしての思いを発信してきた編集者のたらればさんだ。
お二人は「光る君へ」をどう見ているのか? 今回の大河ドラマの楽しみ方を含め、古典文学の歓びや作家・紫式部の素顔、そしてドラマの後半戦をかき回すかもしれないあの人物への想いなど、「光る君へ」愛を語り合った対談をお届けする。
※本記事は、読書情報誌「波」(2024年8月号)に掲載された対談です
***
澤田 いま大河ドラマ「光る君へ」の関連で引っ張りだこでしょうに、おいでいただきありがとうございます。
たられば いえいえ。澤田さんにお会いできるのを楽しみにしておりました。
澤田 けっこう前からXで、たらればさんの投稿を拝見していまして。一般の歴史ファンで、戦国が好き、幕末が好きという方はたくさん存じ上げていますが、平安時代、それも古典文学がこれほどお好きでお詳しいとは一体どんな方なのかと。大変失礼ながら、純粋な興味でお目にかかりたいと思ったんです。『のち更に咲く』刊行時には素晴らしい書評もいただいて(「波」3月号掲載)。あの書評がきっかけで本を手に取って下さった方、多いんですよ。
たられば それは嬉しいですね。『のち更に咲く』、最近また読み返しましたが、改めて主人公・小紅のキャラクターが素晴らしい。彼女は道長に仕える女房ですが、親や兄弟の汚名を背負いながら自分の運命を受け入れ、懸命に生きる。歴史に名前の残らない女房たち一人一人にも喜びや苦しみ、人生や宿命があったのだという当たり前のことに気付かされました。
澤田 恐れ入ります。
たられば 月の美しさや頬に当たる風の感触を描写した繊細な文章も実に味わい深かったです。この小説はどんな風に構想したんですか?
澤田 実は昔から藤原保昌・保輔兄弟を書きたかったんです。道長の忠臣である兄と、盗賊・袴垂に変じたという伝承のあるアウトサイダーの弟。この対照的な兄弟の兄・保昌は、さぞかし苦労が多かったのだろうなと。ただ、兄の目線から描くと堅苦しくなりそうでつまらない。そこで妹の小紅を設定しました。ちなみに私の保昌の脳内イメージキャストは西島秀俊さんです。
たられば すごい! ぴったりです。
澤田 でも、まさか「光る君へ」で袴垂がフィーチャーされるとは思いませんでした。散楽一座の芸人で盗賊でもある直秀(毎熊克哉)は、明らかに袴垂を意識したキャラクターでしょう。
たられば 僕もびっくりしました。直秀は良かったですよね。しかも死んじゃった後に「直秀ロス」と言われるまで人気が出て。
澤田 藤原兼家が死ぬ回のタイトルが〈星落ちてなお〉だったのも仰天しました。周りから「何か関係してるの?」と訊かれましたが、『星落ちて、なお』の作者である私は何も聞いていない。
たられば そのうち『のち更に咲く』も使われるかもしれませんね。
澤田 その時は大いに便乗させてもらいます(笑)。
「推し」への責任と緊張
澤田 でも平安って正直、ニッチな時代じゃないですか。
たられば そうですねえ。神田の古書店に行くと、戦国や幕末関係の棚は一階の目立つ場所にドーンとあるのに、平安ものは二階にあったりして。
澤田 わかります。
たられば しかも僕が一番好きなのは『枕草子』なので、『源氏物語』との扱いの差にいつもションボリします。
澤田 なぜ平安文学に興味を持たれたんですか。
たられば もともと百人一首を全首覚えていたり、『枕草子』を読んだりといった程度には好きでした。それが、2007年にサントリー学芸賞を受賞した山本淳子先生の『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』を読んで、一条朝(一条天皇の時代)を好きになったことが決定的な契機だったかなと思います。その頃は隅っこで一人で本を読んでいるタイプだったんですが、そのうちSNSを始めて、古典文学の話を投稿するようになった。すると、それなりに読まれて反応があることに驚きました。
澤田 それが今や23万ものフォロワーがいらっしゃるとは。『枕草子』が一番お好きなのはなぜなんですか?
たられば 一番は「敗者の文学」であるという点ですね。不遇の定子を思った清少納言が、随筆の中に定子とそのサロンの姿を美しく封じ込めた『枕草子』は、いかにして負けるか、負けた後にどう振る舞うべきかをカッコよく教えてくれます。
澤田 摂関政治の中で敗者になった人たちは他にも数え切れないほどいます。その中でなぜ中(なかの)関白家だけが現代まで語り継がれているかといえば、『枕草子』があったからですものね。
たられば おっしゃるとおりです。今日ここに来てよかった! 負けた側の人生にも意味があると肯定してくれる随筆が日本で一番読まれている。そのことは日本人のメンタリティに少なからぬ影響を与えていると思います。敗北の文学がこの世界の美しさを祝福している、という点も素晴らしい。それに敗者だけでなく、勝者である藤原道長の権力の強大さを後世に伝える役目も果たしている。筆の力、作品の力を感じます。
澤田 最近は毎週日曜に「光る君へ」をリアルタイム視聴しながら関連する知識や感想をⅩに投稿なさっていて、あれは面白い試みですね。
たられば ありがとうございます。放送中はPCを開いて、傍らに参考資料――『小右記』『御堂関白記』『紫式部集』『枕草子』なんかを置いて、すぐに調べられるようにしています。
澤田 もう少し時代が進むと『紫式部日記』も加わりそう。
たられば じつのところ、2024年の大河の主役が紫式部だと発表されて以来、ずっと情緒不安定なんです。宝くじに当たったような喜びと、自分の推しが国民的注目に耐えうるのかという不安の間で揺れ動きまくっている。
澤田 近所の贔屓の定食屋がミシュランの星を取っちゃったという感じ?
たられば はい……。これまで数十人単位の村でどんぐりを拾って生きていて、今日は良いどんぐりが拾えたねー、とキャッキャしているところに、突然何十万人もの観光客が来てしまい、「あの、どんぐり……見る?」とおずおず差し出している感じ(笑)。
澤田 どんぐり!
たられば 馬鹿みたいなことを言っているのは重々承知ですが、ここで私が対応を間違えると、大好きな『枕草子』や平安という時代自体の評価まで下がってしまうのではないかという緊張感が常にあります。
澤田 このドラマが今後、日本人の平安イメージの源になる可能性は大きいですものね。