『天皇論』
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<書評>『天皇論 「象徴」と絶対的保守主義』子安宣邦(こやす・のぶくに) 著
[レビュアー] 風元正(文芸評論家)
◆戦後ナショナリズムの起源
91歳の子安宣邦は、最後の市民講座のテーマとして「天皇」と「本居宣長」を選んだ。子安の原点は、新任教員として70年安保闘争の渦中、学生たちの焦燥と絶望を間近に見つつ宣長のテキストを読み込んだ経験にある。同じ時期、小林秀雄と吉川幸次郎が「国粋主義や皇国主義の代名詞」だった宣長を復活させた。子安は、2人の大家は『古事記伝』から神道イデオロギー的序文『直昆霊(なほびのみたま)』をはずし、<古伝説>の注釈学者として脱政治化して、「戦後の所謂(いわゆる)<イデオロギー批判>としての国学批判の不毛さ」を衝(つ)いたとみる。
東アジア世界を俯瞰(ふかん)して考える子安は、中国では1966年から毛沢東の指導による文化大革命が進んでいたことに着目する。この並行現象は、清が帝国としての体制を整えた乾隆帝の治世と宣長の生涯が重なることを想起させる。つまり、18世紀、中国が国家のアイデンティティの問い直しを進めた時期、わが国では宣長が「日本」を発見した。その1世紀半後、文革の渦中、今度は宣長自身が戦後ナショナリズムの拠点として発見されたわけである。
生前退位の時のお言葉への反響は忘れられない。内田樹(たつる)が「天皇が象徴的行為を通じて日本統合を果たしている」と天皇制支持を表明したのには驚いた。子安のいう「絶対的保守主義」、「私たち日本人は天皇がこの日本社会に『君主』あるいは『象徴』的存在としていれば、日本の国家社会は安泰」という前提が自明となった証拠である。そして、「新憲法」がアメリカ占領軍の戦略に基づいているとしても、時を経て、坂本多加雄のごとく、天皇は元々「象徴」だったという歴史認識が支持を集めてゆく。
かつては常識だった子安の立論は少数派となり、一方で次世代の天皇すら決められない。「天皇制」への緊張感を喪(うしな)った「日本」はどこへ向かうのか。これでは東アジアの国々との「歴史戦」の火種は消えないし、「宣長問題」にも終わりは訪れないだろう。子安の憂慮は重い。
(作品社・2970円)
1933年生まれ。日本思想史家。大阪大名誉教授。著書『国家と祭祀』。
◆もう一冊
『可能性としての東アジア』子安宣邦著(白澤社)。台湾・韓国などでの講演を中心に。