「芝居を終えた後に飲みに行って喧嘩するんです」加藤シゲアキが語った演劇論とは?

対談・鼎談

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万両役者の扇

『万両役者の扇』

著者
蝉谷 めぐ実 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103556510
発売日
2024/05/16
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

加藤シゲアキ×蝉谷めぐ実・対談「役者の嘘に、贔屓は踊る」

[文] 新潮社

 いま最も注目を集める時代小説の旗手、蝉谷めぐ実氏。その最新刊『万両役者の扇』が5月に上梓された。物語の舞台は江戸時代の芝居小屋。己の芸を磨くためなら殺生や妄言をもいとわない役者・扇五郎は、町娘から仕出し屋まで、あらゆるひとを狂わせていく。

 そんな扇五郎の役者道を、NEWSのメンバーとして世界中のファンを魅了してきた加藤シゲアキ氏は、どう見るのか。作家として、役者として、観客として、芝居に魅せられた者たちが交わす演劇論とは。

演技論をぶつけたくなる相手

加藤 『万両役者の扇』の刊行、おめでとうございます。

蝉谷 ありがとうございます。

加藤 僕は一昨年に蝉谷さんが刊行された『おんなの女房』(2022年、KADOKAWA)の大ファンで。「最近読んだ面白い本は?」という質問に、ずっと『おんなの女房』と答え続けていたくらいです。

蝉谷 実は……ラジオでお話しいただいたのを拝聴しました。もう、嬉しくて嬉しくて。

加藤 ご本人にも届いていたんですか、恥ずかしいな(笑)。とにかく胸を打つ作品で、今回の新刊もとても楽しく拝読しました。『おんなの女房』も『万両役者の扇』も、江戸の芝居小屋に生きる者たちのお話ですよね。どうしてこんなに役者の気持ちがわかるのだろうと、ずっと不思議に思いながら読みました。

蝉谷 役者として様々な舞台に立たれている加藤さんにそう言っていただけて、本当に光栄です。

加藤 蝉谷さんの作品には、いろいろなタイプの役者が登場しますよね。だから読んでいると、彼らと演技論をぶつけあっているような感覚になります。物語のキーパーソン、扇五郎に対しても、同じ役者として共感しつつ、「それは違うだろう」と意見したくなりました。

蝉谷 なるほど、扇五郎に共感される部分もあるんですね。

加藤 扇五郎は、芝居と現実の境界を曖昧にしようとする役者です。例えばお芝居の中で血を流すシーンがあれば、どうにかして“本物の血”を使おうとする。そんな風に、芝居の世界の淵に立ちたくなる気持ちはよくわかるんですよ。特に若いときは、多くの役者が憧れるものなんじゃないかな。

蝉谷 役者が芸を磨くことに熱中するのは、今も昔も変わらなかったりするんですね。加藤さんご自身も、そういう時期はあったのでしょうか。

加藤 あったと思います。役作りの限界に挑みたくなるんです。役に体を近づけたり、徹底的に役に入り込む「デ・ニーロ・アプローチ」を試したり。だんだんキャリアを積んでいくと、役作りは特にしないまま、飄々と演じてみせる先輩方も増えていきますけど。

蝉谷 役作りも経験を経て、変わっていくものなんですか……。

加藤 しかも扇五郎は、徐々に現実でも嘘をつくようになるでしょう。そういう役者って実はめちゃくちゃ多いんです。

蝉谷 えっ、そうなんですか。それは現実の世界でも、舞台であてがわれた役を演じてしまう、ということですか。

加藤 いえ、役ではなく、「役者である自分」を演じてしまうんです。僕自身はあまりそういうところはないと思うんだけど、例えば「加藤シゲアキ」というキャラクターをプライベートでも演じる、みたいな。

蝉谷 日常生活まで侵食してしまうのは、すごいですね。体の中に三つの人格が宿る感じなんでしょうか。元の自分と、「自分」というキャラと、お芝居の中の役、という具合に?

加藤 そうですね。しかもそのうち、元の自分が見えなくなってしまう人もいます。風来坊な役柄を演じていた俳優さんが、プライベートでも似たような振る舞いをするようになってしまう、とか。無意識にそうなってしまう人もいるだろうし、意図的にキャラに入り込む人もいるでしょうね。

蝉谷 お話を聞いていると、扇五郎のような役者は実際にいた気がしてきました。あとは、加藤さんが『閃光スクランブル』(2013年、KADOKAWA)で書かれたアイドルの亜希子のことも、頭をよぎります。亜希子もアイドルとしてのアッキー、そしてフィンランドの映画監督の名前から取ったマキを、自分の中に持っていましたよね。

加藤 ただ僕としては、お芝居ってどう嘘をつくかってことだとも思うから、「そんなことしたってしようがないだろう」と感じたりもします。例えば、役者の古田新太さんは、「5秒浮いてセリフを言ってみろ」ってよく言うんですよ。

蝉谷 え!? そんな無茶な……。

加藤 そうそう、そんなことできるわけないし、古田さんも本当に宙に浮けと言っているわけじゃない。要は、浮いているように見せてこそ役者だろう、ということなんです。

蝉谷 嘘をつく技を磨け、と。

加藤 だってもしお芝居の全てに実が伴わなきゃいけないなら、殺人者の役は人を殺した人間にしか演じられなくなってしまうじゃないですか。芝居の世界は結局全てが嘘なのだから、その中でどうやってうまく嘘をつくかこそが重要なのだと僕は思います。

蝉谷 そのお話で思い出したのですが、江戸時代に活躍した三代目坂東三津五郎という役者の、茶碗を指で弾く芝居が当時大変に話題になったそうです。その茶碗は張り子で作られていたんですが、役者の演技によってまるで本物の茶碗のように見えたらしくて。

加藤 名役者のなせる技ですね。すごいな。

蝉谷 だけどそれを見た裏方さんが、「それならいっそ本物の茶碗を使った方がいいんじゃないか」と茶碗を瀬戸物茶碗にすり替えると、その役者はものすごく怒ったと言われています。あれは張り子だからいいんだ、本物にしたら意味がないんだって。

加藤 その役者の気持ちもよくわかります。嘘だから感動できるものってあるんですよ。あるいは嘘を本物に見せる技への感動とも言えるのかもしれません。

蝉谷 おっしゃる通り、その役者は嘘を本物に見せることに血道をあげていたのだろうと思います。

加藤 だからこそ僕は扇五郎には「お前は手前だな」って言いたくなります。嘘をついてみせろよって。でもそうしないではいられなかった扇五郎の気持ちもわかる。だから、この小説はこんなに面白いんだろうと思います。

新潮社 小説新潮
2024年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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