『祖父・鈴木貫太郎』
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【聞きたい。】鈴木道子さん 『祖父・鈴木貫太郎』
[文] 三保谷浩輝
■家族視点でつづる終戦秘話
先の大戦終戦時の首相として知られる鈴木貫太郎(1868~1948年)。難局の日本をかじ取りした苦悩や素顔など、家族だけが知る姿を92歳の孫娘がつづった。
「世間で言われていることとは違う、家族の立場から見た祖父のことを書き残しておきたいと思ったのです」
貫太郎の長男で首相秘書官を務めた一(はじめ)の長女。戦後、終戦秘話などの講演を続けた父が平成5年に死去し、その思いを継いだ。家族の記憶を掘り起こし、資料を読み、昭和史研究家でノンフィクション作家の保阪正康さんの講座にも通った。少しずつ書きため、保阪さんに持ち込んだ原稿が出版につながった。
貫太郎の生い立ちや海軍時代にも触れる。侍従長時代の二・二六事件など生涯で8度も命の危機があったが、「強運ですよね。やはり終戦を担うために生かされたのだなという気はします」。貫太郎は昭和20年4月の首相就任談話で「戦争継続内閣」を印象付けたが、胸中は「機を見て終戦に導く」。その頃の言葉に著者が「戦争を終わらせようとしていると悟った」とする追想も印象深い。
一方、本書の監修もした保阪さんは、解説で「(鈴木家の)悔しさや無念も本書を貫く一本の柱」と指摘する。
なかでもポツダム宣言への政府の考えとして貫太郎が答えたとされる「黙殺する」の言葉。これがアメリカで「reject(拒絶する)」と訳され、広島、長崎への原爆投下やソ連参戦の惨禍を招いたとの説もあるが、本書は「違うのではないか」。終戦間近に亡くなった人らには「ただ頭を垂れるしかない」としつつ、「原爆もソ連参戦もポツダム宣言以前に決まっていたこと」。「黙殺」の言葉も「新聞一紙の記事にあり、独り歩きした。『ノー・コメント』に近い意味で、本人も『拒絶するとは言っていない』と証言しています」。
貫太郎は回想録で、戦後日本の取るべき道として「嘘をつかぬ国民になること。絶えざる努力を続けてゆくこと」などと提言。亡くなる直前には「永遠の平和」と二度繰り返したという。「いずれも、今こそ心したい言葉だと思う。国を本気で思うということを改めて意識してほしい」(朝日新聞出版・2090円)
三保谷浩輝
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【プロフィル】鈴木道子
すずき・みちこ 音楽評論家。昭和6年、東京都生まれ。東京女子大卒。文化放送のプロデューサーなどを経てラジオや雑誌などで活躍。