『2004年のプロ野球』
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球団合併、新規参入、身売り プロ野球「異常な1年」の真実
[レビュアー] 梨田昌孝(大阪近鉄バファローズ元監督・野球解説者)
2004年はプロ野球の球団合併、新規参入、身売りが立て続けに起こった異常な1年でした。あの年、大阪近鉄バファローズの監督だった私は、オリックス・ブルーウェーブとの合併により球団が消滅する形でユニフォームを脱ぎました。この本を読むと、激動の日々を昨日のことのように思い出します。
オーナー企業の近鉄の経営状態が苦しいのはわかっていましたので、球団の命名権を売り出した2月頃から「身売りはあるな」と思っていたんです。買収に名乗りを上げた堀江貴文さんが大阪ドームに観戦に来た時、試合が始まる前の円陣で「次のオーナーが来られているから、いいところを見せよう」と話したこともありました。
ただ、まさか合併とは思いもしませんでした。2つの球団が1つになるわけですから、選手もスタッフも半分が職を失うことになります。合併より身売りのほうがいい。
合併交渉が表面化したのは6月。7月のオーナー会議で大筋が承認され、9月には実行委員会で正式に承認されました。その間、選手もスタッフもがんばってくれたのですが、どこか魂が抜けてしまったような状態でした。私も「お金をもらって試合を見せる以上、ひとつのボールに集中してプレーしよう」と励ますものの、みんなの不安が伝わってきて、つらいんです。
8月になるとシーズン終了後の秋季キャンプの話もぼちぼち始めるのですが、先が見えないから連れていく選手も選べない。八方塞がりでした。近鉄だけでなく、あの年、激震に見舞われたチームには特有の事情がありました。当時ははっきり報道されていなかった深層が、この本を読むとよくわかります。
私も何度か取材を受けましたが、伝聞ではなく本当のことだけを教えてほしい、自分が理解できるまで教えてほしいというのが著者のスタンス。話しやすい環境をつくってくれたうえで「それをいつ、どのような形で知りましたか?」「その時の心境は?」と何度も何度も丁寧に聞かれます。あの情熱、ねちっこさ、感服しました。
思えば、北海道から九州まで球団があるパ・リーグになったのは2004年です。ファンのありがたさ、ファンサービスの大切さを各球団と選手が学んだのも、あの年。一時期取り沙汰されたように球団数が「8」まで減っていたら、日本のプロ野球はやせ細り、大谷翔平選手も生まれず、WBC優勝もなかったのではないでしょうか。あの年、プロ野球は生き延びたのです。