『惣十郎浮世始末』
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一味違う、手の込んだ時代ミステリ。読みどころは、人間とその生きざま
[レビュアー] 伊藤氏貴(明治大学文学部准教授、文芸評論家)
時代は天保の改革期。薬種問屋の大店が火を出し、主人と番頭の死体があがる。ただの失火とは見えず、主人の黒焦げの死体も果たして当人のものかわからない事件を、同心の惣十郎が少しずつ解いていく。一見無関係の大小様々な事件が、実は裏で複雑に絡み合い、惣十郎自身にも纏わりついていることが明かされる。
非常に手の込んだ時代ミステリだが、背景として書き込まれた時代や医学の状況が、事件にリアリティを与える。ただ主人公に手柄を立てさせるためだけに事件が起こる凡百のミステリとは一味も二味も違う。
しかしいちばんの読みどころは、人間とその生きざまである。「難なく一件落着に持ってく」多くの捕物帖の名同心たちとは違って、惣十郎は「必死に努めて」も「しくじることも、報われねぇことも多い」。書類づくりが仕事の中心と言える小役人にして、みみずののたくるような悪筆ゆえに書き物が大嫌いな惣十郎だが、受け持った事件には全力を尽くす。いや、それ以前に事件が起こらないようにと、日々町内の見廻りを怠らない。事件がなければ書類も書かずに済むとはいえ、それでは出世はおぼつかないが、これこそが惣十郎の生きざまだ。報われぬ理不尽を飲み込みつつただ役に向き合う。
「与えられたこの生で、俺ぁなにを成せるのかってなことを考えて焦れた頃も」あったが、「完璧なんてもんは幻想でしかな」く、「生きて、恥かいて、また生きてってのを、死ぬまで繰り返すのが本来の役目なんだ」。わずか三十そこそこで〈自分は只者でしかない〉というこの悟りに至るとは、惣十郎は只の只者ではない。
自己承認欲求にまみれ、自分は正しく報われていないと愚痴をこぼし、ときに無関係な他人をすら攻撃しかねない近代人のわれわれの目には、この生きざまが眩しい。惣十郎が、人を憎むな、という母からの教えを守ることができたのは、自分よりも自分の役目を大事にしたからだろう。