『われは熊楠』
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『われは熊楠』岩井圭也著
[レビュアー] 長田育恵(劇作家・脚本家)
「巨人」の内奥 瑞々しく
自然界の生命が横溢(おういつ)する盛夏、学生の皆さんにもお薦めの一冊を。南方熊楠は森羅万象を研究対象とした「知の巨人」として知られる。多数の関連書籍が刊行され、破天荒な生き様や奇行も色濃く描写されてきた。その中で本作は、熊楠の半生を、その内奥世界から誠実に描写した、今後の熊楠理解の基盤に加えられる書だ。
「いったい、我(あが)は何者(なにもん)なんじゃ」――熊楠は幼少期から気づいていた。己の中には熊楠でない熊楠がいる。己は異常なのだと。脳内では無遠慮に「鬨(とき)の声」が迸(ほとばし)る。その声々が何かに集中している間は止(や)むと気づいたことから、熊楠は森羅万象の知識を無尽蔵に求め始める。ひいては我という存在への謎を解き明かすために。
若くして海外遊学、大英博物館へも出入りし雑誌『ネイチャー』へ論文掲載など、熊楠は青春期から明治中期の日本人として他に類を見ない輝かしい業績を残しているが、その日々も、彼の内側から見ると様相が変わる。那智山で大日如来と遭う神秘体験、夢を通じて想(おも)いを寄せた故人と逢瀬(おうせ)を重ねるなども、決して夢物語ではない、すべてが彼にとっては現実なのだ。
情感豊かに瑞々(みずみず)しく描かれる内奥世界に比して、周縁の人間たち(弟常楠や妻松枝、精神の病になる息子熊弥)については客観的に描写される。だからこそ逆説的に、熊楠が感じていた断絶や軋轢(あつれき)――関係性への希求が見出(みいだ)され、胸が軋(きし)む。同時に周縁人物たちも、眩(まぶ)しすぎる光から自身を守らざるを得ない。熊楠という巨星と生きることで変化していく過程が焼き付く。
本書の中核には神社合祀(ごうし)反対運動や天皇への御進講があるが、圧巻は最終章だ。拍動が尽きる寸前まで真理に肉薄しようとする熱を、幾千幾万の流転する命の痕跡を、己という存在があらゆる生命と溶け合う境地を本作は描き切る。読後、南方熊楠という不世出の巨大な生命体がかぎりなく美しく思えた。
我は熊楠。「現世(うつしよ)のすべてを知る者じゃ!」(文芸春秋、2200円)