『箱男』
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「真夏に箱の中でパンツいっちょ」俳優・浅野忠信が撮影中に感じた「箱男」になる快感とは?
[レビュアー] 浅野忠信(俳優)
安部公房の長編小説『箱男』の映画化が実現し、2024年8月23日(金)に全国公開された。
原作の『箱男』は1973年に発表された小説で、ダンボール箱を頭からすっぽりとかぶり、覗き窓から外の世界を見つめて都市を彷徨う「箱男」を描いた一冊だ。
一切の帰属を捨て去り、存在証明を放棄した先にあるものを問う難解なテーマのため、映像化は困難であると言われていた撮影に挑んだ俳優の浅野忠信さんが、現場で感じたこととは?
実際に段ボールをかぶり「箱男」となることで、これまでにはない不思議な感覚を覚えたという浅野さんのエッセイを紹介する。
※本稿は読書情報誌「波」(2024年3月号)の特集「安部公房生誕100年『わたしと安部公房』」掲載されたエッセイです
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仕事場で自分の存在をスタッフに忘れられることがたまにある。
例えば雪崩のシーンを撮るために雪の中に埋められ、じっと待っていて他の人からは雪の一部にしか見えていない時とか、アクションシーンのためワイヤーでビルの3階ぐらいの高さに吊るされスタッフの目線に自分がいない時とか、一人服を着ていない状態で温泉街で待機しカメラやスタッフは遠くにいる時など。
しかしそういう時は大声で自分の存在をアピールして私のことを忘れないでくれ! と訴えるのだが、このまま黙っていてもいいかも! と思ったのが撮影で段ボール箱に入り、小さな覗き穴からみんなを見ている時だった。
真夏の撮影で物凄く暑いので私は段ボールの中で服を着ていなかった。明らかに自分が箱の中にいることを忘れられているなと悟った時、冷静に人々の癖や独特な動きなどを観察して、でも自分はだらしなくパンツいっちょでボケーッとしていられる、しかもみんなのど真ん中で、自分の存在は大きくそこにあるのに誰にも相手にされずに済む。こんなに矛盾した心地いいことは滅多にないから余計に黙っていたくなった。
これが箱男の快感の一部なのか!? と笑ってしまった。
安部公房さんがはたしてどんな気持ちでこの小説を書いたのかわからないが、少なくともこの作品を知っていて尚且つそれを実際に経験したのは佐藤浩市さん、永瀬正敏さんと私ぐらいだと思う。ヤドカリが宿に隠れ、あたかもただの貝殻のふりをするように、なんでもない場所で“物”として世界を見ると、とてつもなく自由な気持ちになれるし、何かがリセットされ続けている感覚になった。
ただそれと同時に、そこにもう一つ同じ箱男の存在があった時に物凄く邪魔された気持ちになり、普段よりも自分が見られている気持ちになるのも確かだったと思う。勿論仕事なので佐藤さんや永瀬さんが邪魔だとは一切思わなかったが、同じように箱に入っている時に箱の中の世界や居心地、独特な時間の流れが深く理解できるので目の前に自分ではない別の箱男がいると逆に恥ずかしくなったりもした。
この撮影がコロナ後で良かったと思う。なぜならみんながマスクをして自分の口を隠す生活を経験したから、あれこそ一種の箱男的感覚を試せる時間だったと思う。自分の口を隠し表情を読み取られず、時には声に出さず想いを口にすることができるのは時になんとも言えない自由のようなものを得た感覚になったのを覚えている。コロナ禍が明けてからもマスクをしたいと思う時が自分にもあったのだが、撮影を終えた時にやはり、もっと箱に入っていたかったと思ったこともあったので、映画を見たり小説を読む人によっては共感できる気持ちがそこにあるかもしれないと思う。
真夏のエアコンのない現場で箱に入り中腰で歩いたり喋り続けたり、時には転がったり、アクションをしたり、忘れられたり、みんなの素の状態を凝視したりと、この異様な体験をできたことを安部公房さんに感謝したい。そしてできれば安部さんに伝えたかった。
この映画を見た方や小説を読んだ方がひょっとしたら箱に入り町のどこかで佇むことを試しているかもと思うと笑ってしまうが、その時はほっといてあげようと思う。