帝大法科の特権を剥奪する戦い。未だ残る「東大特別視」の源流を辿る
[レビュアー] 須藤靖(東京大学教授)
良くも悪くも、「東大」は権威の象徴である。とはいえこれは日本国内でしか通用しない。ではなぜそのような「東大信仰」が生み出され、今なお日本社会に根付いているのだろう。
実は、東大には法医工文という暗黙の序列が残っている。多くの東大の先生すら気づいていないのだが、学内名簿、電話番号帳などの過去の印刷物はすべてこの順であった。今でも、ホームページの「学部・研究科」はその順番で紹介されている。
アメリカで研究していた四十年近く前、パーティーでたまたま出会った東大法学部出身者に「私は理学部物理学科出身です」と自己紹介したところ、「へえー、東大には物理学科があるんですか」と返されてムッとしたことが忘れられない。この個人的エピソードは、東大=帝大法科という(かつての)特権意識を端的に示す例だ。
本書は、まさにその帝大法科の特権を剥奪する戦いの歴史をたどることで、現在の日本に未だ残る「東大特別視」の源流を明らかにしてくれる。
最初の六章が帝大法科と、慶應、早稲田、私立法律学校、一橋、同志社と私立七年制高校(武蔵・甲南・成蹊・成城)、そして京都帝大との確執という観点から書き分けられているので、異なる視点が良く理解できる。
当初、官学と私学の相補的共存を主張していた福沢諭吉が、貧者に対して一定レベル以上の教育を与えること自体が「天下の禍源」だとして、やがて官学全廃を主張し始めたというくだりには驚愕した。これが本当にあの『学問のすゝめ』を著した人物なのか。
とはいえ、当時の帝大法科卒業生は、無試験で判事・検事の候補生たる司法官試補に任用され、無試験で弁護士資格を得ることができた。一八九〇年の法律で保障されたこれらの帝大特権に対して、それ以外の私大が反発し、特権剥奪と平等を訴えるのは当然とも言える。
これらの無試験条項は一九一四年に削除されるものの、その後も帝大と私大では卒業後の出世には大きな違いが残ったまま。京大法科ですら、ある時期までは東大法科に比べると全く人気がなかったという。学閥の影響か、はたまた真の実力差なのか。これは、現代社会にも共通する問題そのものだ。
東大法学部の優秀な学生が官を見捨て、こぞって起業したり外資系企業に就職したりする現状は、本書が語る過去の歴史とは隔世の感がある。その先にある無・東大の日本未来社会への再設計が必須ではなかろうか。